いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(3) 聞き取り調査を始める

2012年5月の聞き取り調査

 県レベルの参加型ワークショップでの議論で、状況が特に厳しくかつ実施中・計画中の開発プロジェクトが少ないと分析された郡(ワレダ)から現地踏査を先行することとし、5月8日(火)にテルテレ郡、10日(木)にディロ郡、11日(金)と14日(月)にダス郡、15日(火)にマルカ・ソーダ郡、16日(水)にアレロ郡の村を訪問した。また5月17日(木)、23日(水)、26日(土)にはヤベロに近いヤベロ郡の村でも聞き取りを行った。

 そして聞き取り調査の結果、次のようなことがわかって来た。ガダ・システムの下、ボレナでは伝統的にオラ(olla)と呼ばれる自然集落(柵で囲まれ10〜70軒程度。最初の住人が集落の長アバ・オラ(Aba Olla)で、他にジャルサ・ドゥガ(Jarsa Dhuga)と呼ばれる長老達がいる)に住んでおり、レラ(rera、50年くらい前から使われている単位らしい)と呼ばれる広い牧草地の中を十数年毎に移住している。オラの中には夜に牛を一緒に入れておく大きな囲いモナ(mona)があり、数軒が共同で家畜を飼っている。モナは兄弟や親族のことが多いが、ゴサの異なる気の合った仲間同士のこともある。

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ヤベロ郡Dharito村のオラB.K.

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アレロ郡Hallona村のオラ

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アレロ郡Webi村のオラ

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家畜を一緒に入れておく柵。小さなものはドコバと呼ばれる(ヤベロ郡Areri村)

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牛用の大きなモナ(アレロ郡Hallona村)

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牛用の大きなモナ(アレロ郡Hallona村)

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ヤギ用の大きなモナ(アレロ郡Hallona村)

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仔牛用のゴドバ(アレロ郡Hallona村)

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ゴドバの出入り口を閉じたところ(アレロ郡Hallona村)

 一方、政府は2年くらい前(2010年頃)から定住化政策を進めており、複数のレラを村(ケベレは1975年にDERG政権が導入)毎に3つのゾーニ(zoni)に、オラを行政集落ガレ(gare、1村に30ガレ、各ゾーニに10ガレくらいが基本)に統合しようとしている。ガレには柵がなく、集落は定住を基本にしている。この定住化政策は町や国道の周辺で受け入れられているが、そこから離れると牧畜民の抵抗感が強く、国境沿いの周縁部ではあまり機能していないという。

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アレロ郡Gada村の中心に新しくできたガレ(柵に囲まれていない)

オラ(自然集落)とガレ(行政集落)

 5月14日(月)には、ボレナ県東部にあってより乾燥しているダス郡ダス村の普及員3人のうちの1人から話を聞いた。担当しているChokorsaゾーニは世帯数約400で、12あるガレに所属しているという。

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ダス郡ダス村の普及員の1人

「それぞれのガレは35世帯くらいだが、ガレ毎の世帯リストが出て来ないので、どの世帯がどのガレに所属しているのかはまだわからない。また採掘に従事している世帯はガレに入っていない。多妻の人の場合、第二夫人、第三夫人…はそれぞれが世帯主としてガレに入っている。

 Chokorsaゾーニだけではなく、ダス村の他の2つのゾーニ、KayoとNagafikufaでも、35世帯くらいの形でそれぞれのガレへの定住化が進んでいる。隣りのGayo村(ダス郡)でも同じように進んでいる。

 ガレへの登録は、もともと住民として登録している村で行うことになっているので、いまは他の場所に住んでいる人たちも村に戻って申請する必要がある。セーフティネット・プログラムも同じやり方だったために、以前は登録できない人たちがいたが、いまは住んでいる場所で行うことができるようになった。

 ガレというシステムは2、3年前(2010年頃)に始まったが、実際に登録の作業を始めたのは4ヶ月前(2012年1月、エチオピア・クリスマスの後)だった。長老たち(jarota、ガレの長老ともなる)が積極的ではなかったからだ。世帯リストが出て来ないのもそれが理由だ。それぞれのガレには最大5人の長老がいることになっている。人々が分散して住んでいるので、もっと同じ場所に一緒に住むようにということでガレが始まったのだが、まだ抵抗感がある」

 5月17日(木)に話を聞いたヤベロ郡Dharito村オラB.K.はヤベロに近く、国道8号線(A8)にも面している。オラB.K.(18世帯)は5つのクラン(ゴサ)から構成されているので、血縁でつながっている訳ではないという。またここでは4ヶ月前(2012年1月)にオラB.K.を含む4つのオラから57世帯が村の中心近くにあるオラ(9世帯)の周りに移住して来て、5つのオラで新たなガレであるGombogudo(66世帯)を形成していた。ただし、すべての世帯がそのまま移住して来た訳ではなく、5つのオラ計87世帯のうち30世帯はガレAli Galmaに移住していた。このケースでは、新たなガレの名前Gombogudoは放牧地の単位であるレラの名前と同じであった。また村の中心に近いいまのガレの場所は、レラの中のいくつかある放牧地のどこにいくにも便利な良いロケーションだという。

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ヤベロ郡Dharito村の長老たちから話を聴く

 またガレの導入は行政ではなく、ガダ・システムから2年前に発せられた定住に関する通達によって始まったと認識されていた。定住に関する意思決定はガダ・システムが先で、それにしたがって4ヶ月前に定住が始まり、同時にガレが導入されたという。ガダ・システムと、行政のゾーニ―ガレの導入との間には何の問題もないとのことだった。

 ガレへの移住がどう行われたについて、G.L.氏はこういう。

 「自分たちは5人兄弟で全員オラB.K.に住んでいたが、うち4人はガレGに参加してここに移住し、自分だけが他のガレに移った。

 我々はもともとレラGombogudo所属だ。レラというのは放牧地の単位で、ここには他にレラKubigutuという大きなレラもある。Dharito村には合計7つのレラがあるが、レラGombogudoの世帯数は79で、レラKubigutuは200世帯くらいある。レラGombogudoとレラKubigutuでDharito村の1つのゾーニを形成している。

 そして、レラGombogudoの4つのオラが移住して来て、前からここにあったオラ(レラKubigutuに所属)と一緒になり、ガレGombogudoができた。自分は15世帯一緒に、オラB.K.からガレAli Galmaに移住したが、18世帯はここガレGombogudoに移住した。

 オラの名前は、オラのリーダー(アバ・オラ)の名前だ。リーダーの名前がD.T.、だからオラの名前もD.T。アバ・オラは富や政治力ではなく、年功で基本的に決まる。オラD.T.は大きなオラだったが、D.T.が長い間留守にしたために、B.K.がオラB.K.を立ち上げた。同じように11世帯がオラH.G.を立ち上げた。オラD.T.からも15世帯がガレAli Galmaに移住した。」

エラ(伝統的井戸)

 ボレナ県の中央部にはエラ(ella)と呼ばれる伝統的な井戸が200以上あり、それぞれの所有者はアバ・エラと呼ばれ、各ゴサ(クラン)の所有となっている。井戸はアバ・ヘレガ(Aba Herega)と呼ばれる3人の日替わりの水の管理人(牛は3日に一度水を飲ませる必要があるため、日替わりの3つのグループに分けられている)によって運営管理され、ゴサやエスニック・グループを問わず誰でも家畜に水を飲ませることができる代わりに、管理人の決める順番や補修・労働提供などのルールに従う義務がある。

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伝統的な井戸エラの一つ(大雨季なので使われていない)

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エラの水源の周り

 エラを使う上での基本的なルールについても、5月17日(木)にDharito村で教えて貰うことができたが、それは次のようなものだった。

(1) 雨季にエラから牛に水を飲ませることはできない。

(2) アバ・エラがharoresa(枝を折るという意味)と呼ばれるエラ開きの儀式を行う。折った枝とタバコとミルクを土地に捧げ、長老が4つの乳頭すべてから搾乳し、その日はアバ・エラの牛だけが水を飲むことができる。他の牛は翌日にからになる。

(3) アバ・ヘレガと呼ばれる3人の水の管理人がエラを管理する。牛は3日に一度しか水を飲めない。アバ・エラとアバ・ヘレガが水を飲める許可を与えることができる。

(4) エラが泥や土で埋まった時は、アバ・エラ次いでアバ・ヘレガが牛を屠って、エラの補修作業をする人たちに供する。

(5) 誰かの牛がエラ開きより前に水を飲んだ場合は、妻を奪われたに等しいレベルの怒りをアバ・エラが表明し、長老たちが集まって処罰を決める。処罰は牛5頭以下である。

(6) すべての人は、アバ・エラと同じゴサであるかどうかを問わず、これらのルールに従わなければならない。