いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(4) 人々の生活を少しずつ理解する

普及員

 5月14日(月)のダス郡ダス村での普及員からの聞き取りで、普及員(大半が20代)の生活についても少し知ることができた。

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普及員の宿舎

「ダス村には3人の普及員がいて、3つあるゾーニをそれぞれ担当している。普及員のうち2人は正規の普及員、1人は普及員補(assistant DA)だ。私にとって普及員は最初の仕事で、今年が2年目になる。ヤベロにあるTVET(Technical and Vocational Education and Training College)で資源管理のディプロマを得て就職した。TVETの同級生は65人で、うち12人が女性、9人が普及員になった。何人かは他県で就職した。私はディレ郡のメガ出身で、本当は小学校の先生か看護師になりたいと考えていたが叶わなかった。それで普及員になった。もう1人の普及員も2年目で、動物科学のディプロマだ。普及員補は8年修了で技術的な教育は受けていない。なので、彼が担当するゾーニでの活動を、他の2人の普及員で助けている。

 3日間のセーフティネット研修が年に2回あり、普及員は全員この研修に参加する。日当は170ブル(約812円*1)で、普及員補も参加できる唯一の研修だ。他に年に一度『経験共有』という集まりがあり、普及員は全員参加する。去年は15日間だったが、今年は5日間に短縮された。この集まりの日当は70ブル(約334円)だがダス郡は3割り増しのハードシップ手当付く。ただし宿泊費込みの手当だ。そのほかに年に1回「査定・評価」会議があるが、普及員全員が参加する訳ではなく、手当は出ない。あと月に1回はダス郡の中心Borborにある郡畜産開発事務所に行き、給料を受け取る。郡の事務所では技術的な会議のようなものは行われないが、ダス村では多いときには10村くらいの代表が集まって、実務者会議のようなものをやっている。

 普及員の給料は1,380ブル(約6,592円)だが、100ブル(約478円)はミレニアム・ダムの建設費のために天引きされる。あと家賃を月100ブル(約478円)払っている。普及員補の給料は850ブル(約4,061円)くらいだ。私は2ヶ月に一度、メガの実家に帰る。ダス村から国道とのジャンクションまで約70km、そこからメガまで約14kmだ。ジャンクションまでの運賃は雨季が50-60ブル(約239-287円)、乾季は35ブル(約167円)、そこからメガまでは10ブル(約48円)だ。」

農家の8年生

 5月26日(土)には、ヤベロ郡Areri村の道路沿いの畑で農作業をしていた8年生から話を聞くことができた。

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農作業をしていた8年生

「現金を稼ぐには草取り、収穫、賃金(cash-for-work)などがある。草取りの日当は15-17ブル(約72-81円)で、通常朝8時から午後3時まで7時間働く。収穫は2ティマド(ティマド(timadi)は1/6haで、2頭立てで1日に牛耕できる面積。2ティマドは1/3haで、2人で4日程度の作業)当たりで2食付45ブル程度(約215円)だ。そしてセーフティネット・プログラムの土木工事の賃金は25ブル(約119円)だ。また1束の薪を背負ってヤベロの町に売りに行っても25ブル(約119円)だ。町までは片道歩いて2時間掛かる。家では薪を週に2束使っている。

 自分は小学校8年生なので、土日だけ草抜きを手伝っている。耕作は父のアバ・オや、兄たちがやっている。兄の1人はジンマ大学の文系(BAコース)にいる。自分は公務員になりたい。保健オフィサーになることに興味がある。」

レラの中の移住

 5月23日(水)、ヤベロ郡Obda村にあるオラH.B.の長老からはこんな話が聞けた。

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ヤベロ郡Obda村の長老から話を聞く

「このオラB.J.に住むようになって12年になる。その前はオラC.G.に15年間住んでいた。B.J.が何世帯かと一緒に13年前にここに住み始めてオラB.J.ができ、次の年に私もここに来た。オラC.G.を出た理由は、モナが牛糞などで汚くなったからだ。オラC.G.はいまでもあり、遠くない。歩いて1時間くらいのところだ。その前は、Dida Yabelo PAdidaは平地の意)のオラD.G.に住んでいたが、干ばつでオラC.G.に移住した。オラD.G.には牧草がなくなったが、オラC.G.にはよい牧草地があった。オラC.GとオラB.J.はエラDimaという名前の同じレラに属している。レラ・エラDimaには7つのオラが属している。我々はだいたい10年から15年経ってモナが汚くなると新しいオラに移動する。

 レラは昔からあるので、いつできたのかは知らないが、そのレラに属するオラの人だけが、牛をレラの牧草地に連れて行くことができる。レラはそこに属するオラの人たちのメイン・キャンプであり、外のオラの人たちが乾季のサテライト・キャンプとして他人のレラを使うことは許されない。

 自分の家は二つの別々の屋根でできている。大きい方の空間はbadaと呼ばれ、居間兼食堂兼台所だ。小さい方はdhibuと呼ばれ、寝室になっている。仔牛やヤギは大きい方の空間にいる。以前は平屋根の家に住んでいたが、豪雨になると雨が漏るのでいまの草葺き屋根に変えた。」

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Obda村の長老の家


エラAreri

 Obda村の長老によれば、Obda村のレラ・エラGaleには7つのエラ、レラ・エラDimaには3つのハロ(haro、ため池)、レラ・エラNyaroには1つのハロ、レラ・エラAreriには1つのエラがある。ただし、アバ・エラはHawatuというゴサ(クラン)で共通だという。HawatuにはKuraとBokolutuの2つのマナ(サブ・クラン)があるが、3人の水の管理人アバ・ヘレガはこの2つのマナの人間である。同時にそれぞれが3つのレラであるエラDima、エラNyaro、エラAreriを代表している。アバ・エラのゴサに属さない人も、レラに属さない人も、エラから牛に水を飲ませることはできるが、順番は遅くなる。Hawatuの長老は一番先に水を飲ませることができ、Hawatuの人間がそれに続く。

 道路沿いの畑で農作業をしていた8年生の家はレラ・エラAreriに属している。

「私の住んでいるオラには小さなハロ(ため池)があり、雨季(4-7月大雨季、8-9月小乾季、10-11月小雨季、12-3月大乾季)に十分な雨が降れば4-5ヶ月は水が持つが、雨が少ないと2-3ヶ月で涸れてしまう。大乾季の3ヶ月間はエラAreriの水を使う。エラAreriは一般的な伝統的井戸ではなく、山間の泉だ。エラAreriに行くには歩いて2時間掛かる。20リッターのジェリカンを担いで朝夕二往復する必要がある。エラAreriはレラ・エラAreriとレラ・エラDimaの接するところにあり、共通の3人のアバ・ヘレガによって管理されている。アバ・エラはHawatuというゴサ、アバ・ヘレガはKuraとBokolutuというHawatuのマナである。」

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エラAreriのアバ・ヘレガ

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山間の泉エラAreri

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エラAreriで水を飲む牛たち








*1:2012年3月20日現在で1ブル=4.7773円