いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(6) アレロ郡Hallona村とその代表的なオラ(自然集落)の概要

 アレロ郡では10. Fuldowa村、14. Hallona村、15. Webi村、16. Gada村の4村がパイロット事業の対象と決まったため、7月19日(木)にまず14. Hallona村に出かけ、村の畜産開発事務所(PDO)でマネージャー(各村に1人ずつ派遣されている職員をPA Managerという)と普及員3人から話を聞いた。その後、Hallona村の中でも奥の方にあり、状況の厳しいゾーニであるMidaniゾーニ(ここでは大きなレラ[牧草地の単位]がそのままゾーニになっているとのこと)の中心的なオラであるオラJ.M.に案内された。

データの収集について

 県、郡ではオラやガレの名前、人口はもちろんゾーニの人口もわからないのが普通なので、村の事務所まで出向いて確認する必要がある。ボレナでは人の数、家畜の数を口にすることは禁忌であるそうだが、人口・世帯数は選挙に必要なこともあって、村のマネージャーが各ガレ/オラを回って調べており、手書きの集計表を持っている。ただしそのデータが郡、県に集められることはないようである。教育や保健医療に関しても状況は同じで、学年別の生徒数の数字は各学校の教員室の壁にグラフや表になっていることが多いが、それが郡、県では集計されていない。病院・保健センターの病因別患者数などの数字も同様である。したがって、本プロジェクトで使用したほとんどの統計・数字は、そのような壁の手書きのグラフや表、ノートなどを撮影したり、書き写して得たものになる。

f:id:axbxcxRR:20190614232945j:plain

Hallona村のPAマネージャー

f:id:axbxcxRR:20190614233126j:plain

Hallona村の3人の普及員と村のリーダー

Hallona村の概要

 Hallona村の概要は次のとおりである。村全体で685世帯、3,152人、3つのゾーニは[1] Renjiが223世帯、1,237人、[2] Buleが273世帯、1,355人、[3] Midanuが189世帯、560人となっている。ガレ/オラの数は、[1] Renjiがそれぞれ9/18、[2] Buleが10/17、[3] Midanuは5 /9となっている。奥にあって、新開地である[3] Midanuは他の2つのゾーニに比べて人口、ガレ数、オラ数とも半分程度で、世帯規模も小さい。一方、一つのガレの大きさは、[1] Renjiが17〜31世帯、[2] Buleが17〜37世帯なのに対して[3] Midanuは27〜49世帯と大きくなっている。より厳しい環境にある地区ほど、大きなガレ/オラが散らばって存在していることが想像される。ガレとオラの関係を見ると、オラがそのままガレになっているところが24ガレ中11ガレと半分近くを占め、2つのオラで1つのガレになっているところが8ガレ、3つのオラで1つのガレが3ガレ、4つのオラで1つのガレが2ガレとなっている。

f:id:axbxcxRR:20190614232606p:plain

Hallona村の概要

オラJ.M.の成り立ち

  [1] MidanuゾーニのオラJ.M.でオラの成り立ちについてオラの長老J.L.から話を聞くことができた。オラJ.M.には、略図に示すような形で38世帯が住んでおり、夜に牛を一緒に入れておくためのモナ(mona)が8つある。平均5世帯くらいで一つのモナを共有していることになる。

「ここガレKarsa RobaはMidanuゾーニに5つあるガレの1つで、ガレKarsa RobaのオラはJ.M.だけである。ゾーニ全体ではオラが9つある。今年の調査でオラJ.M.の世帯数は37になっているが、実際には38世帯ある。Hallona村の中心までは歩いて3時間、四駆で1時間掛かる。村の中心からここまで、他のオラは一つもない。」

f:id:axbxcxRR:20190614233314j:plain

オラJ.M.の長老から話を聞く

f:id:axbxcxRR:20190614233437j:plain

オラJ.M.の略図

 オラの出入り口は北向きなので、出入口に向かって右側が東、左側が西になり、家々はオラの東側と西側に分かれて並んでいる。長老J.L.はオラJ.M.のすべての世帯主を東側19軒、西側19軒と順に示してくれた後、どういう順番で人々がここに移住して来たかを説明してくれた。

「このオラに最初に住んだのはアバ・オラJ.M.の 2人の妻とその子どもたちの世帯で、14年前(1998年頃)のことだった。2人の妻は東側の、入口に一番近いところに居を構えている(E1及びE2)。そしてこの2世帯でモナM.J.に牛を入れている。」

「次に10年前(2002年頃)にやって来たのがアバ・オラの息子や甥たちで、現在11世帯となっており、西側の一番近いところに住んで2つのモナを共有している(E1E11・モナD.S.及びモナB.G.)。」

「三番目にJ.Lの2人の妻の世帯が9年前(2003年頃)にやって来た(E12及びE13・モナJ.L.)。そして四番目はD.S.と息子たちの10世帯で、7年前(2005年頃)にやって来た(E39及びE1416・モナD.S.)。五番目に5年前(2007年頃)、M.G.と息子たち、娘婿たちの世帯が来た(E10及びE11・モナB.GW1216・モナD.B.)。」

「最後、六番目、3年前(2009年頃)に、3つのグループが来た(E17及びE18・モナN.D.E19・モナA.G.W1719・モナK.D.)。通常、親子・親戚などで一緒に移動してモナを共有することが多いが、六番目のグループでモナN.D.とモナK.D.を共有している世帯には血縁関係はなく、気が合った同士で移動し、モナを共有している。」

「新たに移住して来てオラに住むためにはアバ・オラの承認を受けることが必要である。承認を得られればオラに住めると同時に、オラの属しているレラをマザー・キャンプとして家畜を飼うことが許される。つまり雨季にレラで放牧することができる。」

「またオラはレラの中で移動している。牛の住んでいるモナには糞などが溜まって来るため十数年経つとモナが汚れてしまう。そうしたらレラの中の新たな場所に移動して新たなオラを作る。オラの中で特別年配の人が亡くなった場合にもお墓をモナに作って移動する。その他、オラを出て、新しい場所を切り開いて移住する場合には、そこに新たな名前のオラができる。」

セーフティネット・プログラム(PSNP)

 略図で●の付いているのは国のセーフティネット・プログラム(PSNP)の対象として登録されている世帯である。オラJ.M.の38世帯のうち9世帯の計43人が登録されているが、9世帯の内訳を見てみると、最初にオラを開いたアバ・オラの2人の妻の世帯など、比較的早く移住して来た世帯が多く、5年前に移住して来た6世帯、3年前に移住して来た5世帯で登録されている人はいない。現在のセーフティネットは土木工事・環境保全などのへの労働提供に対する食糧/現金給付プログラム(FFW: Food-For-Work/CFW: Cash-For-Work)の形になっており、より必要性の高い貧困・脆弱家庭を対象としているが、このオラの中での登録状況からはそうはなっていないことが伺える。またPSNPの最初のPはproductiveで、セーフティネットと同時に開発を進めること、そして開発が進んでセーフティネットから「卒業」することが目標となっている。けれどもボレナ県で話を聞いた限り、2015年の時点でセーフティネットから「卒業」した人は皆無であった。

f:id:axbxcxRR:20190614233648j:plain

オラJ.M.を囲む柵の外から

f:id:axbxcxRR:20190614233728j:plain

オラJ.M.の家々

f:id:axbxcxRR:20190614233816j:plain

オラJ.M.に8つあるモナの1つ

f:id:axbxcxRR:20190614233905j:plain

近くのハロ・ミダヌに水汲みに行く人たち

f:id:axbxcxRR:20190614234002j:plain

ハロ・ミダヌ

開発活動

 オラJ.M.には11の農地があるという。全38世帯のうち、東側の5世帯(E1、E11、E15、E18、E19)と西側の6世帯(W1、W5、W6、W11、W13、W19)がオラの中を柵で囲って農地にしており、メイズといんげん豆(レッドキドニー)を作っている。

「この地区の開発プロジェクトとしては、Midanu小学校がある。我々で建物を建てたが、雨で壊れてしまった。政府(ワールド・ビジョン)がテントをくれたので、いまはテントを校舎にしている。建物は教員の宿舎に使っている。2人の教員は政府から派遣されている。Midanu小学校は1年生と2年生だけで、男の子11人、女の子21人合わせて32人の生徒がいる。1年生が14人、2年生が18人だ。3年生から8年生は、村の中心にある全寮制の小学校に行く必要がある。いまそこには男の子5人、女の子6人合わせて11人がいる。」

f:id:axbxcxRR:20190616215351j:plain

Midanu小学校のテント校舎

「もう一つはPCDP(世銀のプログラム)のため池のプロジェクトだが、進んでいない。ヤベロの業者に工事を発注しているが、まだ対応してくれない。その他、女性グループKarsa Roba(ガレの名前)の建物を建てた。」

移動のことなど

「ここにはハロ(ため池)しかないので、乾季は他の地域に移動する必要がある。その際、毎年、行先の人たちから許可を得なければならない。通常、大乾季の12月から2月まで3ヶ月間移動する。干ばつの年には小乾季にも7月と8月の2ヶ月間移動しなければならない。」

「我々はモナ単位で移動する。モナM.J.とモナB.G.は、Hallona村の中のBuleゾーニのHara Hawatuという牧草地に6時間掛けて移動する。モナJ.L.はアレロ郡の中の12.Kafara村に9時間掛けて移動する。モナD.S.はアレロ郡の中の隣りの16.Gada村に8時間掛けて移動する。モナB.G.はヤベロ郡のDida Hara村に7時間掛けて移動する。モナN.D.とモナA.G.はアレロ郡の中の隣りの10.Fuldowa村に8時間掛けて移動する。モナK.D.は9時間掛けてディレ郡のEgo村に移動する。」

「私はいま51歳で、20歳になるまではアレロ郡の12.Kafara村(乾季に移動する先はその村)に住んでいた。それから私は隣りの10.Fuldowa村に引っ越し、32歳になるまでそこにいた。その後7.Renji村に住んで、それからここに来た。」

食事や生活のこと

「このオラには1ヶ所だけホットスポットがあって、携帯を使うことができる。オラにはラジオが3台ある。」

「ボレナは鶏を食べてはいけないが、卵は週に2回くらい食べる。家畜を屠殺する時は、オラ中で一緒に食べる。ヤギや羊を屠殺することは少なく、年に2回くらいだ。ただし客人が来た時、赤ちゃんが産まれた時にも屠殺する。牛を屠殺するのは年に1回、Abrassaa月(12月)にあるWake Fata(ボレナの伝統的宗教)のお祝いのときだけだ。オラで2頭の牛を屠殺するほか、客人が多い時には10頭までのヤギや羊を屠殺する。」

「我々の主食はbulukaと呼ばれるメイズを煮たものと、小麦を煮たものやパン(kita)だ。いんげん豆(レッドキドニー)も食べるが、野菜は一切食べない。牛乳はたくさん飲むが、牛の血を飲むことはもうない。去年アワッサに行って生まれて初めて魚を食べたが、二度と食べたくない。昔は鹿などの野生生物を週3回くらい食べていたが、5年前に野生生物の狩猟が禁止された。」

 

f:id:axbxcxRR:20190618085646j:plain

メイズをついているところ

f:id:axbxcxRR:20190618085746j:plain

メイズを煮たもの(buluka)

f:id:axbxcxRR:20190618085925j:plain

パン(kita)を焼いているところ

f:id:axbxcxRR:20190618090733j:plain

いんげん豆(レッドキドニー)を煮ているところ

f:id:axbxcxRR:20190618091006j:plain

ミルク