いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(7) グジの人たちの住む村での聞き取り

マルカ・ソーダ郡の村に住んでいる人たち

 7月26日(木)、27日(金)とグジの人たちの住むマルカ・ソーダ郡での聞き取り調査を行った。最初に伺ったのは、村の中心からは離れた森の中のようなところにある集落だった。

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話を聞かせて頂いた人。3年前から住んでいるという

「あなた方が先週村に来たということ、そしてここでワークショップをやる予定だということは聞いていた。ここで私がどんなことをしているか、家族のことなどにはお答えできるが、伝統について説明するには私は若すぎる。」

「自分は牧畜民だが、小規模な耕作もしている。けれども商売はしていない。かつては純粋な牧畜民だったが、耕作を始めたので、いまの主な収入源は穀物生産となっている。」

「グジ県のGari Boroというところの生まれで、子どもの頃、家族とともにここに移住して来て、ここで結婚し、そのまま住んでいる。ここから移動しないのは、ここがいい土地で、水が十分にあり、農業ができるからだ。」

「私の一族は小規模な耕作をしていて、父もそうだった。私は少しずつ畑を拡げて来たが、自分は7人子どもがいるのでもっと拡げなければいけないと思っている。またここの気候そして気候変動のことを考えると、牧畜よりも耕作の方が向いていると思うようになった。」

「この場所に来たのは3年前で、よい土地があったからだった。それまではDhaka Arabaゾーニの中心に住んでいた。ここから北東に徒歩で20〜30分のところだ。私の土地は学校の近くにあって、学校に土地の一部を取られることになったのも、移住した理由の一つだ。私は母と妻と7人の子どもで一緒にここに来た。」

「ここに住んでいる知り合いはいなかったけれど、ここの方が耕作に適しているし、きっとうまくやれると思った。ゾーニの中心で耕していたのは自分の土地ではなかった。父や兄弟はゾーニの中心に住んでいるが、父がここの近くに土地を持っていて、兄弟が来て耕している。だからこの辺りのことは知っていた。」

新たな土地を切り拓く

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家の前で話を聞く

「使われていない土地を切り拓くには村(PA)から許可を得る必要がある。村に申請書を提出し、なぜ土地が必要か、農地を持っていないとか子どもが多いとか理由を説明しなければならない。それ村で審査する。5人のアバ・ガレ(行政集落長)が土地を見に来て決定した。」

「自分はAbraham Wotesaというガレの所属だった。けれどもAbraham WotesaガレがAbraham WotesaガレとTure Wareガレに分かれたので、自分はTure Wareガレの所属になった。」(721日に村の事務所で貰ったガレのリストにはこれらの名前はなかった。リストに従えば8. Bursano Boreガレ(28世帯)、9. Gora Hamusiガレ(30世帯)ではないかと思われるが、不明)

「他の村からここに引っ越して来たいという人がいた場合、アバ・オラ(ボレナでは自然集落のことだが、ここでは世帯主を意味する)が集まって会議を持ち、家をどこに建てるかを決定する。農地に関しては村の許可が必要になる。その際の農地の大きさは、世帯の大きさ、そしてどの程度の面積を耕す意志があるかによって決められる。」

「私の家はTure Wareガレの25軒の中の1軒だ。自分はまたHotesa Busaha Jarsabiyaの一員でもある。」

グジのコミュニティの形態

 マルカ・ソーダ郡は主にグジの人々が住む地域であり、ボレナが多数派を占める他のワレダとはコミュニティの形態が異なる。マルカ・ソーダにはオラのような柵で囲まれた自然集落は存在しないが、集落に似たものとしてjarsabiyaという長老システムがあり、数十世帯が一人のjarsabiyaの下に集うという形になっている。ただしこれは飽くまでも集団であり、明確な地理的境界を持たない。つまりそれぞれのjarsabiyaは周縁部で混在しているようである。ご近所でjarsabiyaが異なることがあるのである。またマルカ・ソーダにはレラのような放牧地の管理単位もなく、放牧地は完全な共有地となっているという。「レラ〜オラ」(遊牧のような広い範囲の中ではなく、レラ内だけで移住する)を伝統的な半定住の形態と考えれば、マルカ・ソーダではそのような半定住の形態を経ずに、遊牧のコミュニティの形態そのままで農業を始め、定住して来たのかも知れない。
 またグジの人たち(マルカ・ソーダの例)の伝統的な意思決定システムにおいては、集落レベルではjarsabiya(各ガレに1人)が、ゾーニ・レベルではraba、村レベルではdoriと呼ばれる人たちが意思決定を行うという。その上はガダ・システムと対応する。一方、行政のシステムでは、まず村のキャビネットがあり、村のチェアマン、PAマネージャー、普及員・スーパーバイザー、保健オフィサー、教員など10名程度がメンバーで、月2回会合を開く。ゾーニ・レベルにも8名か程度らなるキャビネットがあり週1回集まる。各ゾーニ担当の普及員もそのメンバーである。またゾーニに10あるガレの代表(アバ・ガレ)は週2回集まる。各ガレには5人からなるキャビネットがある。

村の生活や食べ物

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家畜を入れておく柵

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庭にいた鶏たち

「世帯10人のうち6人までがセーフティネット(PSNP)に登録している。月に15kgの小麦粉が今年は6ヶ月(計90kg)配給される。そのうち5ヶ月分は既に配給されており、最後の1ヶ月分を待っているところだ。去年は干ばつが厳しかったので、9ヶ月(計135kg)配給された。一昨年は平年だったので6ヶ月だった。この辺りでは他には現金や食糧給付プログラム(CFWやFFW)はない。」

「村にはボランタリーで行う参加型の開発活動がいくつかある:1. 水・土壌保全プログラムには家族から3人が午前9時から午後3時まで16日間働いた。2. 道路の補修は午前10時から午後2時までで、家族からは2人が週2回、8日間働いた。もし休んだら、 次回は倍働かなければならない。これらの活動の前には事前セミナーがあり、これらの活動がどのような便益をもたらすかを理解することができる。これにはすべての世帯がボランタリーで参加する。」
「大乾季の間に我々はヤギを2頭売った。いつ売ったのか正確には覚えていないが、1頭を売ってから次に売るまでに2ヶ月あった。最初の1頭は350ブル(約1,670円)で売って50kgのメイズを220ブル(約1,050円)で買った。次の1頭は320ブル(約1,530円)で売って50kgのメイズを300ブル(約1,430円)で買い、あとは食用油を手に入れた。2頭のヤギを同時に売らなかったのは、乾季がそんなに長く続くとは思わなかったからだ。家畜を売るというのは最後の手段だ。メイズの価格は変動が大きくて、収穫期(通常7月)にはキロ2ブル(10円を切る)まで下がるが、植付期(通常3月)にはキロ6ブル(30円近く)まで上がる。」

「去年のメイズの収穫は芯がついたままの状態で3.5 キンタル(約350kg)で、今年も同じくらいを期待している。雨はもう止まってしまったから、去年を超えるような収量は期待できない。うちの畑の広さは凡そ1haだ。」

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家族写真と500mlのカップ

「我が家は1ヶ月に200カップ(家族写真に写っているカップ。約500ml)の粉を消費する。家畜は屠殺せず、町で月に2回肉を買っている。鶏肉も月に2回くらい食べるほか、卵は週に1回食べている。我が家の主食は1」 bunshoと呼ばれるメイズをすりつぶして煮たもの、2」 kitaと呼ばれるメイズか小麦のパン、3」 kukufaと呼ばれるメイズのケーキ、それに4」 bunchoと呼ばれる白インゲンを茹でたものだ。家ではケールを作って食べているが、その他の野菜や豆は白インゲンを含めて作っていない。

「うちには牛が6頭、ヤギが5頭、鶏が10羽いる。牛のうち2頭は乳牛で、1日に1,000mlくらい牛乳を飲んでいる。牛乳を売ることはしていない。

「将来的には、テフや小麦を栽培したいと思っている。」

「ここに定住した理由は、ここが平地(dida)よりも環境がよいからだ。木がたくさん生えているので天候が安定していて、風で草葺の屋根が飛ばされることもない。ここで困っていることはない。」「息子の1人は小学校4年生、娘の1人は小学校3年生だ。他の3人の子どもたちも学校にやるつもりだ。自分は学校にまったく通ったことがないし、妻もない。」「保健オフィサーがやって来て、ワクチンを打ったりしてくれる。治療を受けたいと思ったら町(Soda Town)まで出なければならない。町までは歩いて2時間掛かる。」「水はDawa川に行って汲んでいる。10分で行ける。」

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お母さんが帰って来た

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我々を見送ってくれた