いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(9) 牛の移動パターン

 2012年の7月、8月の村での聞き取りを通じて、12月から3月頃に掛けての大乾期、特に干ばつの厳しい年に、牛の移動して行く先が主に南部諸民族州のコンソ特別郡(ワレダ)であることがわかってきた。また遠くへ移動する際には基本的にグループを組んでいるらしいこともわかってきた。

 そこで筆者が一時帰国した8月中旬以降、アシスタントに国境近くのテルテレ郡、ディロ郡などを回って牧畜民からの聞き取りをして貰い、雨季及び乾季の牛の動き(移動先)を村単位で地図に落としたのが下記の図である。

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ボレナ県における牛の移動パターン (2012年11月15日現在、聞き取りにより作成)

 オレンジ色は干ばつのときの牛の動き、黄色は通常の乾季の牛の動き、緑色は雨季の牛の動き、水色は家畜に水を飲ませるための動きを示している。また点線は10年以上前の動きであり、ソマリ州に近い地域では衝突により東のソマリ州の方向に行けなくなったため、移動先が西側に限定されるようになって来たことが想像される。また数字で示したのは移動に掛かる日数・時間であり、一般に4日間を越えるような移動の場合は、途中で伝統的な井戸エラまたはため池ハロで水を飲ませる必要がある。中央のヤベロ及びアレロ郡で黄色い線が多くなっているのはオラ単位ではなく牛を共通の囲いモナに入れている数家族の単位で移動しているためである。

 一方、ソマリ州・南部諸民族州に近いボラナ県の東側及び西側の地域では、移動先となる村の選択肢が少なく、かつ大きなグループ(オラ単位、さらに牧草地レラを共有する複数のオラが一緒にレラ単位)で動く傾向にある。その場合は先遣隊を派遣し、移動先の状況を確認した上で、長老たちが集まって意思決定する形態を取っている。

 またアレロ郡の14. Hallona村Midanuゾーニでは、乾季に村中が他の村に移動している。牛だけではなく人々の飲み水もなくなるためである。このようなコミュニティがどのくらいあるのかまだ把握できていないが、水資源の開発においては、このようなコミュニティでのハロあるいは井戸の整備が最優先となると考えられる。次いで多くのコミュニティから牛が集まっている地域(例えばアレロ郡の15. Webi村)にあるエラの整備、また多くの移動経路において中継点になっているようなエラあるいはハロの整備の優先度が高くなるであろう。

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県庁所在地ヤベロのすぐ西にある山間のエラ、Ella Areri(2012年7月10日)

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Ella Areriにはクラン別の水飲み場がある(2017年10月24日)

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ダス郡12. Gorile村にあるエラの回廊(2013年8月29日)

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ダス郡12. Gorile村にあるエラで水を汲む青年(2013年8月29日)

牛の移動から見たボレナ県の低地の地域区分

 以下、牛の移動パターンを整理してみる。各地で雨季・乾季の牛の動き方を聞いて回った結果、大干ばつ時には三つの地域に牛が集中することがわかった。

  1. 干ばつになるとボレナ県の東側の牛たちは、ヤベロ郡の Dikale 村、アレロ郡の15. Webi村、ダス郡の1. Borbor村のラインに集中する。このラインはトゥラ(tulla)と呼ばれる豊かなエラ群があるところで、ボレナの人たちの間ではドライ・バレーとも呼ばれ、低地ではここにだけ豊富な地下水が流れていることが知られている。
  2. 一方、干ばつ時にボレナ県の西側の牛たちは、豊かな水と牧草地のある、南部諸民族州の高地の方向に移動する。
  3. さらにボレナ県の中央部の牛たちの中には、大干ばつ時にボレナ県の高地側(ヤベロ郡やアレロ郡の最北部)に移動するグループがある。
  4. そのほか、過去には大干ばつ時にソマリ州に移動するグループがあったが、ボレナの人たちとガブラやガリの人たちとの衝突、またその結果としてボレナ県とソマリ州との間の境界が西に移動して来ていることにより、いまは行けなくなっている。

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ダス郡4. Gayo村のエラの入り口の前で順番を待っている牛たち(2013年9月4日)

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ダス郡4. Gayo村のエラで、順番が来て入り口に殺到する牛たち(2013年9月4日)

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ダス郡4. Gayo村のエラで歌を唄いながら水を汲む青年たち(2013年9月4日)

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ダス郡4. Gayo村のエラで歌を唄いながら水を汲む青年たち(2013年9月4日)

牛の移動の四つのパターン

 水と牧草は切り離せないと言われるが、やはり本来はそれぞれが別の要因であり、ボレナ県における牛の移動には四つの異なるパターンがあるように見える。

  1. 人の飲み水がなければ乾季は村ごと移動するしかない。アレロ郡の Hallona村MidanuゾーニのJatani Moruオラがこれに当たり、冬の乾季にはモナごとに移動するため、村がバラバラになる。
  2. 人の飲み水は確保できても牛の水がなければ、乾季は牛を水のあるところに移動させざるを得ない。(女性、子ども、乳牛、子牛などはオラに残る。)移動した先に牧草がなければ、移動先の水源と牧草のある場所との間を往復することになる。(干ばつ時にも十分な水があるアレロ郡の Webi 村に各地から集まってくる牛たちがこれに当たる。)
  3. あるいは牧草のあるところ(サテライト・キャンプ)へ移動して、そこから水源との間を往復することになる。(例えばダス郡の Garile村の人たちの中には乾季にミヨ郡の9.Dukale村の牧草地に移動し、そこからケニア側の大きなため池Haro Yasariに水を飲ませに行っている人たちがいる。)またミヨ郡の10. Melbana村には豊かなトゥラがあるにも関わらず、それほど牛が集まっていない。聞き取りによれば、これは農地に取られて牧草地が足りなくなっているからとのことである。農地に適したところは高地が多く、森林になっているため草地が少ないという特徴もある。遊牧する人たちは森に行くと牛が肥らないという言い方をしており、そのような際には木の枝を切って牛に与えることも行われる。
  4. 大干ばつで最後、どうにも牧草がなくなったときには、南部諸民族州かボレナ県北部の高地の方へ行く。

移動の際の単位

 ボレナ県中央部の水源・牧草地ともに比較的選択肢の多いところでは、移動する際に5世帯程度のモナ単位で行き先を決め、バラバラに移動する。オラを持たないグジの地域(ブレ・オラ郡、マルカ・ソーダ郡、ドゥグダ・ダワ郡)も同様である。

 これに対して、より環境の厳しいボレナ県の東側(アレロ郡の東端の1. Wachole村、ダス郡の東端の8. Gabri村、11. Irdar 村など)、あるいは西側(テルテレ郡の15. Salita 村、ディロ郡のケニア国境近くにある7. Harboki 村など)では自然集落であるオラ全体で一つになって移動する。これには移動日数が5日あるいはそれ以上と長く危険を伴うこと、選択肢が少ないことなどが関係しているものと考えられる。これらのオラでは経験の豊富な牧畜民を選んで斥候(haburu)として偵察に出し、その報告を待って長老たちがどこに行くかを決定するというプロセスを取っている。

水源の種類

  1. 干ばつ時にボレナ県の東側の牛たちが集中するのは、水量の豊富な伝統的井戸エラがいくつもまとまって存在するトゥラである。そこでは過去数十年に亘って水が枯れたことがない。また聞き取りによれば、トゥラは規模が大きいだけではなく、塩分濃度が高く家畜専用になっているものを指し、そうでない人間の飲用にも適する伝統的井戸をアダディ(adadi)・エラと呼んで区別している。トゥラで水を飲んだ家畜には塩をやる必要がほとんどないとのことである。
  2. 一方、通常雨季に使うため池はハロと呼ばれる。聞き取りによれば水が澄んでいるのがエラ、茶色く濁っているのがハロである。ハロの中にはこれまで一度しか水が枯れたことがなく、通年使えるHaro Bakeのような巨大なハロもある。
  3. その他、近年、政府、NGOなどの支援によってコンクリートやプラスチックの貯水タンク(cistern)、深井戸(motorized scheme)も各地にできてきている。

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県庁所在地ヤベロの北にあるHaro Bakeは通年使えるため池で、近くには大きな畜産市場がある(2012年11月7日)

伝統的な水源の管理

  1. アバ・エラ(Aba Ella):エラには通常アバ・エラと呼ばれる所有クラン(ゴサ)がいて、補修を含む水源の管理を行う。オラはクラン横断的で、アバ・オラの許可がありコミュニティの義務を果たせば、誰でも住むことができるため、アバ・エラであるゴサに属する人々も、あちこちのオラに居住していることになる。例えばテルテレ郡の Sarite村にはElla Oda、Ella Sarite、Ella Sukanaの三つのエラがあるが、アバ・エラはそれぞれHawatu、Hawatu、Karayuという異なるゴサであり、Hawatuは外婚半族Goonaのゴサ、Karayuは外婚半族Sabboのゴサである。ただしテルテレ郡の14. Harbate 村のように、アバ・エラがゴサではなく、二次クラン (mana)である場合もあるようである。またアレロ郡の15. Webi 村のように、水源を最初に見つけ、エラを作った人が所有者konfi familyとして振舞う場合もある。konfiは父から息子へと相続される。
  2. それぞれのゴサを代表する長老はジョルサ・ゴサ(Jorsa Gosa)と呼ばれ、そのジョルサ・ゴサが実際に水を管理する3人のアバ・ヘレガ(Abba Herega)を任命する。ただし上述のようにkonfi familyがいる場合は、konfiがアバ・ヘレガを任命する。その他にもkonfiは水量が足りなくなって来たときに最優先で牛に水を飲ませることができるという特典がある。干ばつのときに遠くから水を飲ませに来る人たちが、お礼にkonfiに牛を手渡すということもあったが、それは10年、20年前までの話のようである。また Webi PAの例のように、エラのkonfiが誰であるかを巡って家同士が対立していることもある。

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    ダス郡4. Gayo村のエラの3人のアバ・へレガ(水の管理人)の1人(2013年9月4日)
  3. アバ・ヘレガの仕事としては次のようなものがある。1) 補修工事などが必要になったときにはアバ・ヘレガがゴサ全体に声を掛けて会議を開く。この場合、実際に水を使っているかどうかに関わらず、ゴサ全体が対象となる。2) エラに土砂などが溜まった場合はアバ・ヘレガがゴサ全体に声を掛けて会議を開き作業に動員する。3) 利用者が水を飲む日にち(通常3日に一度)、順番(例えば二次クラン(mana)による[1])などを決め、監督指導する。4) エラやため池の周りに木を植える作業に動員する。5) 複数のエラやため池がある場合には、エラやため池を使う順番を決める。6) エラの水量が減って来た場合は利用を制限し、周辺の他のエラに振り分ける。他のエラのアバ・ヘレガと交渉して許可を得る。
  4. エラには一般に次のような不文律がある。 1) 雨季にはエラは閉鎖され、家畜が水を飲むことは禁じられる。2) アバ・エラ(通常はゴサ)はMuka Cirachuと呼ばれるエラ開きの儀式を行う。牛はその儀式が終わってから水を飲むことが許される。3) 牛が水を飲めるのは3日に一度(余裕がある場合は2日に一度)だけで、飲む順番はアバ・ヘレガが決める。4) 土砂を取り除く作業が必要になったときにはアバ・エラ(あるいはkonfi)、次いでアバ・ヘレガが牛を提供してみなに振舞う。5) アバ・エラのゴサに属しているかどうかに関わらず、エラを利用する人は全員この不文律に従わなければならない。6) 水量が減って来た場合は、乳を出している牛以外すべてサテライト・キャンプに送らなければならない。アバ・エラのリーダーが率先してこれを行い、他の利用者が続く。7) アバ・エラ(の長老)とアバ・ヘレガ以外はエラの周りの木を切ってはいけない。これに違反した者は最大10頭の牛を没収される。8) 作業が大掛かりになる場合は、ジョルサ・ゴサが必要な牛及びお金を算定し、各オラの長老ジョルサ・ドゥガ(Jorsa Dhuga)を通じて徴収する。9) エラの建設あるいは補修などの作業に参加しなかった者はそのエラだけではなくボレナ・ゾーンのすべてのエラを使うことができない。10) エラの使用を巡って争いを引き起こした者は他人の妻を奪ったのと同等の罪を犯したとみなされ、牛一頭を課される。11) 牛に水を飲ませている最中にエラの壁が崩れた場合は、持ち主は直ちに牛一頭を食事に提供し、みなで補修作業に入らなければならない。

[1] 通常、水を飲む順番が決まっているのはトゥラ、エラと呼ばれる家畜用の井戸群だけで、人も飲めるアダディ・エラや、ハロは早く来た順となる。トゥラで最初に水が飲めるのはカラ(qara)と呼ばれるアバ・エラ(通常ゴサ)の長老である。次はアバ・ヘレガ、それからアバ・エラであるゴサの人、その他のゴサの人、そして最後は早く来た順となる。

伝統的な牧草地の管理

 Jarso Doyo (2011). Indigenous Practices of Rangeland management: Constraints and Prospects in Borena Pastoralists of Southern Ethiopia, Oromia Regional State(アジスアベバ大学大学院修士論文)によれば、ボレナ県の牧畜民が伝統的に取って来た方法としては次のものがある。

  1. 雨季の早朝に露のついた草を牛に食べさせるwaareeという方法: 朝4時半に牧草地に連れて行き8時には戻って来る。搾乳はそれから行う。1時間ないし1時間半休ませたのちに、通常の放牧に行く。ボレナの人々は露がついた草を食べると肥った牛になると考えている。
  2. 群れの分割という方法: 乳牛、子牛と雄牛2頭からなるLoon Haawichaaは、マザー・キャンプと呼ばれる雨季の牧草地に、乾季も残って過ごす牛たちの定住グループである。もう一つのLoon Fooraaはサテライト・キャンプ(fooraa)に移動するその他の多くの牛たちの移動グループである。移動の前に、牛飼いたちは特定の水場のアバ・ヘレガの許可を予め取っておく必要がある。牧草よりも水を得られるかどうかがまずは制限要因になるのである。また牧草地には豊かな牧草があると同時に、いざ部族衝突が起こったときに退却しやすい場所であることも重要になる。このように群れを分割し、マザー・キャンプ周辺の水・牧草と複数のサテライト・キャンプの水・牧草とのバランスを取ることで、乾季の水不足・牧草不足のリスクを分散していることになる。
  3. 群れの分割の変形として、干ばつが厳しくなったときに、群れの一部を親戚あるいは親しい友人のところに預けるという方法がある。自然資源のリスクを回避するために、社会的な関係が用いられるのである。その上にさらに水・牧草の状況が厳しくなれば、村中が新しい場所に移動するという方法を取ることになる。
  4. 干し草の利用も伝統的に行われて来た。雨季あるいは乾季の初めに家の周りの草を刈り取っておくのである。乾燥が進むと栄養価が落ちてしまうため時間管理が難しいが、刈り取りと干し草作りは主に女性の仕事である。この干し草は共有牧草地に行くことのできない病気の牛や子牛のために、特に重要である。干し草はまた牛が水場に来る日(obaaと呼ばれる)のための飼料でもある。刈り取りが行われるのはそのために取ってあるkaloと呼ばれる囲まれた場所、農地の周囲、また地形的に家畜が行きにくい場所などであることが多い

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エリア・エンクロージャ(kalo)の例(ディロ郡Liso村、2012年11月26日)

 上述の修士論文の中に、Haro Dambiが2010年の4月の洪水で使えなくなった後の負の影響に関する記述がある。ため池が使えなくなった後、乾季の飲料水用に地元の人たちが使っていた貯水タンクを家畜用にも使わざるを得なくなり、結果として貯水タンクの回りが過放牧になってしまったと言うのである。Haro Dambiは本プロジェクトが対象としているアレロ・ワレダのFuldowa村にあり、ワークショップや聞き取りを実施していたので、牧草地の管理について聞き取りからわかったことを以下に記述する。

  1. 他地域から牛が水を飲みに来る際には、一部の地区だけが過放牧にならないよう、レラの会議を開いてガレ別に牛の群れを割り振っている。この会議はkooraa dhedaと呼ばれ、各オラから2~3人の長老(ジョルサ・ドゥガ)が集まって、それぞれのガレで放牧される家畜の数をどれくらいの数にするかを議論する。またもう一つの議題は雨季(ganna season)用と乾季(bona season)用の牧草地を特定することである。そして会議の終わりに、長老たちは7人からなる委員会を設置する。この委員会は牧草の管理と同時に、ルール違反の容疑者を長老たちに引き渡す役目を担っている。
  2. トゥラがあり、乾季に他地域から多くの牛が来るような地区では、雨季にサテライト・キャンプに行って牧草を食べさせておくことが行われている。これはトゥラの近くの牧草地を乾季のために残しておくための戦略であると考えられる。

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アレロ郡Fuldowa村Haro Dambi(2013年3月20日