(13) コミュニティの協働の様子をモニタリングする
再びボラナへ
2012年12月21日(金)の朝にヤベロを出て南部諸民族州の州都アワサに1泊した後アディス・アベバに向かい、12月23日(日)夕方の便で帰国の途についた。そして約3ヶ月後の3月15日(金)には夜の便で成田を立ってドバイ経由再びアディス・アベバ入りし、空港からそのままアワサに向かって1泊した。
現場で少しでも長く過ごしたかったので、だいたいいつもアディス・アベバは素通りで、アワサに泊まっていた。アワサには大きな湖もあり、ボレナ県では食べることのできない魚やチキンを食べることができる。イタリアン・レストランもある。電気やお湯やネットの心配をする必要もないということで、私たちには言わばオアシスのような場所であった。月に1回、時には2回、ボラナ県からアワサに上がるのがどれだけ楽しみだったか…。
ダス郡でのコミュニティ・ベースの活動
17日(日)にヤベロに入り、18日(月)にはダス郡の3村、19日(火)はヤベロ郡の3村、20日(水)はアレロ郡の2村と第1年次のコミュニティの活動を見て回った。例えばダス郡のHarjarte村では、1つの行政集落(ガレ)の3つの自然集落(オラ)がHaro Sasureというハロ(ため池)の掘削を10日前から始めていた。同じ3つのオラでもう1つHaro Kiyaというハロも使っているが、そちらはHaro Sasureの工事が終わってから取り掛かるという算段だった。Haro Sasureは岩が多いので、ノミがあると助かるという。また現在のサイズでは小さすぎるので、25m×8mくらいの中規模のハロにしたいとのことだった。村人たちは週4日働いており、平均で13人が集まっているという。現在は掘削を行っているが、雨季になって地面が柔らかくなったら拡張に取り掛かりたいとのことだった。また工事を始めるに際しては、3つのオラからそれぞれ2人ずつの代表が選ばれ、計画作りや村人の動員の任に当たった。水の管理人(アバ・ヘレガ)は水の管理だけが仕事だが、6人の代表はこのハロだけではなく他のハロや放牧地(カロ)での活動など、すべての協働活動を担当するという。Haro Sasureは小さいので現在は人間と仔牛だけしか利用できないが、中規模になれば500〜1,000頭の牛、大規模になれば2,000〜3,000頭の牛に水を飲ませることができる。Olla Sasureは8世帯しかなく、全世帯がKareyuクランに属する親戚同士だという。また工具はOlla Sasureできちんと保管されていた。
ダス郡ダス村のHaro D.K.では、雨が降り出してしまったため、掘削は諦めて拡張の工事を始めるとのことだった。アバ・ハロ(ため池の長)のD.K.氏はオレンジやグアバ、マンゴー、スイカ、レモン、コーヒーなどをハロの近くに植えていた。このハロは人間の飲用で、家畜用には他の複数のハロを使っているという。また周辺の10くらいのオラの人たちがこのハロの水を飲んでいるとのことだった。Haro D.K.は水が一杯になると4ヶ月使うことができ、この辺りにある飲用のハロとしては唯一の大きなハロであるいう。ハロについての意思決定はJarsa Ardasと呼ばれる長老たち(放牧地[レラ]単位)が行っている。そのハロが人の飲用か家畜用かを決めるのも、どのハロから工事に取り掛かるのかを決めるのもJarsa Ardasである。Olla D.K.には3人のJarsa Ardasがいる。
D.K.氏によると「メガで人々が耕作しているのを見て自分も始めようと思い、12年前からメイズやインゲンマメ、大麦を植えているが、すべて自家用で市場には出していない。メガの人たちからは牛耕も学んだ。兄弟がアディス・アベバにいて、果物や野菜、養蜂について教えてくれた。」という。また「果物や野菜の生産性については記録していないが、12年でずいぶん良くなっている。家畜だけでは生活できないので、耕作は重要だ。昔は肉やミルクが主食だったが、いまはメイズとインゲンマメが主食になっている。耕作をしないで、一体どうやって子どもたちに食べさせることができるだろうか。耕作をすれば自分で食べることができるので食料のために家畜を売る必要がない。そうすれば家畜を太らせて高く売ることもできる。」
村の普及員(DA)も「この村の人たちはみな耕作を始めている。耕作しなければ食べて行くのは難しい。だから農業普及は既に耕作している地域よりも、耕作を始めたばかりの地域でより重要だと思う。畜産に悪影響を与えるようなことはしないという条件は付くが…」という。
ヤベロ郡でのコミュニティ・ベースの活動
ヤベロ郡のHidialle村では、4つのオラから10人ずつが週3回参加して、Haro Hidi Dikoの掘削を次週から始める予定とのことだった。Haro Hidi Dikoは人の飲用のためのハロで、2つのゾニ(1つの村が3つのゾニからなっている)SitachowとHidi Dikoの人たちが使っている。Haro Hidi Dikoは当初から村人たちだけで作った古いため池で、NGOなどの支援の対象となったことはない。協働についてはゾニのリーダーであるW.T.氏が責任を持っている。また集落(オラまたはガレ)で音頭を取るのはガレのリーダーたちの役目である。3年前にガレが導入されるまでは、アバ・オラ(オラの長)の役目だった。Haro Hidi Dikoは人用のハロなのでアバ・ヘレガ(水の管理人)は配置されていないが、見張りが1人いて、24時間体制で動物が敷地に入らないようにしている。見張りはレラで雇用していて、各世帯は月5ブル(約18円)、合計300ブル(約1,080円)を見張りに支払っている。もう一つのHaro Boraは家畜用で、こちらはSitachow用である。こちらの掘削はSitachowゾニに属する4つのオラで協働することになっている。
Obda村のHaro Nyaroは2009年に国のセーフティーネット・プログラム(PSNP)によって作られ、去年(2012年)にAFD(ボレナ県で積極的に活動しているNGO)によって掘削されたが、今年はコミュニティ自身で掘削する予定である。Haro Nyaroは人と家畜共用のハロで5つのオラが使っているが、うち2つは遠方のため工事に参加するのは3つのオラの予定である。残りの2つのオラは人の飲用であるHaro Arero Doyoの工事をする予定になっている。
Areri村のChana Dikaレラでは毎年乾季になると協働してハロの掘削を行っているが、今年は政府の流域管理プログラムの活動があったために遅れており、近々始める予定になっている。Haro Guracha Goleは最初に作った時からずっと村人たちだけで掘削して来ており、NGOなどの支援を受けたことはない。工事には3つのオラが参加することになっているが、使っているのは5つのオラである。運営管理という意味では、他の家畜用の2つのハロと共に、レラに所属するすべてのオラが責任を負っている。また水を汲みに来る人は、水を汲む度にハロを補修する義務を負っており、それに従わない人は水を汲むことができない。
とても上手く行っているように見えるが…
このように3つの村で協働が順調に進んでいること、あるいは始めようとしていること、そして工具がオラあるいはガレ単位で適切に管理されていることが確認できた。CFWやFFWでお金や食料を配らなければ村人たちは働かないというのは誤った認識だったとわかったのでホッとした。けれども1つ気がかりなこともあった。RREPでは計画された工事に参加する集落・世帯数から必要な工具を概算して配布していたのだが、実際の協働作業は「当初の計画」とはほとんど関係なく、あのハロの工事にもこのハロの工事にも、カロ(柵で囲んだ牧草地)の灌木伐採にも、道路工事にも、そして農業にも使われていた。これはどうしたことだろうか。一部の人が工具を独占して使っている、勝手に使っているということはないのだろうか。その後のモニタリングでは、そこがどうなっているのかを何とか理解しようとすることになる。