いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

3. ドミニカ共和国の国営サトウキビ農場跡地で(2001年〜2003年) #La Luisa #Monte Plata #Dominican Republic

 ドミニカ共和国の国営サトウキビ農場に、隣国ハイチから働きに来ていた人たちの住んでいる集落は、バテイと呼ばれていた。ラ・ルイサという村のバテイはバテイ・ラ・ルイサという具合だ。バテイ・ラ・ルイサには野球場があった。

野球場の横には日本の協力で風力を使った共同井戸が作られていた(2001年3月24日)

週末、近所の人たちがお店を出していた(2001年3月24日)

そこに割り込んで来た青年。この後、家を見せてくれた(2001年3月24日)

ずっと国営サトウキビ農場で働いて、いまは年金生活というご夫婦(2001年3月24日)

村長さん(2001年3月24日)

一人暮らしだという女性(2001年3月30日)

近所の人がお昼を持って来てくれていた(2001年3月30日)

バテイ・ラ・ルイサの子どもたち(2003年5月9日)

村長さんとファシリテーター・聞き取り役のアシスタント[今は外交官](2003年5月9日)







2. ネパール東部で(2002年) #Biratonagar #Nepal

 ネパールには2002年の夏に、ビラトナガールというインド国境沿いの標高70mしかない町に1ヶ月滞在しただけで、写真もほとんど残っていないのだが、この2枚の子どもたちの写真にはとても思い入れがある。特に2枚目の少女たちの写真は私にとって十年に一枚というような写真だと思っているのだが、大変残念なことに、Facebook/Instagramではポルノ写真だと判定されてしまったので、トリミング加工で対応した。これでもまずいということであればお知らせください。

水牛が友だち ネパール東部のビラトナガールで(2002年7月23日)

洪水の日に ネパール東部のビラトナガールで(2002年7月25日)

茶摘み風景 ネパール東部のイラムで(2002年8月3日)

 

1. 北部ケニアの半乾燥地バリンゴ県で(1999年〜2001年) #Baringo #Kenya

 1990年代中頃から参加型開発・社会開発というような分野に関心を持つようになり、もっと現場に近いところで仕事がしたいと思うようになった。最終的には、中小企業振興・職業訓練・公害対策などが中心の仕事から、思い切って農村開発に転向した。そしてその最初の仕事が、北部ケニアの半乾燥地バリンゴ県の総合農村開発だった。

 村々を回って参加型ワークショップを開いたり、聞き取り調査をしたりしながら、記録のために写真を撮っていたのだが、デジタル・カメラが普及し始めたこともあって、写真の数が急に増え始めた。そんな中でとても思い入れのある写真も出て来た。

 最初の写真はスタディ・ツアーでバリンゴ湖の反対側に来て、丘の上の見晴台に立つ村人たち。私が景色に見惚れるのは当たり前だけれど、地元の人たちがこんな風に景色を見つめるとは思わなかった。単に想像力が足りなかったということだけれど、歩けば何時間も掛かるところへ、用もないのに来るはずがない訳で、恐らくは生まれて初めてこの景色を見る人がほとんどだったのだろう…。

バリンゴ県キセリアンの見晴台で(2000年8月5日)

 次の写真は観光地にもなっているカンピ・ヤ・サマキという湖岸の町の外れにある、ツルカナの人たちの集落で撮った子どもたち。紛争を避けて、北のツルカナ県から移住して来ている。紛争はいまも続いており、地元の新聞記事を読むとさらに悪化して多くの死者が出ている。またバリンゴ湖は土砂の流入で浅くなり、小さくなると予測されていたのだけれど、実際には浅くなることで流入する水を受け止められなくなって拡大しているようで、学校が水没したという写真が出ていた。一方、この辺り一帯は昨年から四十年に一度というような干ばつにも見舞われており、それが衝突の激化にもつながっていると言われている。

バリンゴ県カンピ・ヤ・サマキの町外れで(2000年8月7日)

 バリンゴ県では生活改善のための活動の一環として、女性グループを通じた改良かまどの普及を行っていた。その対象となっていた村の一つが、イルチャムスという人たちの住むエルドゥメという村だった。そこで撮った少女の写真はバリンゴで撮った中でも一番思い入れのある一枚となった。

バリンゴ県エルドゥメ村の少女(2000年11月6日)

 エルドゥメ村で中心となって改良かまどを普及してくれた女性。かまどだけではなく、周りに食器棚や物入れなどを作り始めて、それが皆の人気を集めた。

バリンゴ県エルドゥメ村で改良かまどを普及した女性(2000年11月6日)

バリンゴ県エルドゥメ村の典型的な家の全景(2000年11月6日)

バリンゴ県エルドゥメ村のクリスマスの飾り付けをした家(2001年2月3日)









(18) RREPアプローチのモニタリング・評価について考える

何をモニタリング・評価するのか

 「(16) ようやく気がついたこと」に書いたようなRREPアプローチをとる場合、一体どのような形のモニタリング・評価をすればよいのか? 古典的なプロジェクトの評価とどこを変えればよいのか?

 実は2003-4年のマラウイ国「小規模灌漑開発技術力向上計画調査」を通じて痛感していたことがあった。この調査では「毎年乾季が始まる頃に、木の枝や竹や草・粘土などで堰を作り、水路を掘るという小規模(10〜30人程度)な灌漑」を普及したのだが、1年目の乾季に23ヶ所で始めた灌漑スキームが2年目には287ヶ所にまで、「爆発的」と言ってよいような拡がりを見せた。チームとしてやったのは堰に適した場所の簡易的な探し方(村人たちが川を渡る時に使っている場所が堰にも適していることが多い)、堰の組み方などを伝授すること、そしてたくさんの普及員を研修して各地でそれぞれ普及して貰うことくらいだった。やり方さえわかれば、誰にでもできる灌漑だった。

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小規模灌漑の堰の例(マラウイ

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小規模灌漑の水路の例(マラウイ

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小規模灌漑の水路橋の例(マラウイ

 けれども実はそこまで拡がるとは誰も予想していなかった。事前に想定していたよりも堰当たりの灌漑面積はずいぶん小さく、これで十分な便益があるのかと心配になるほどだったからである。ところが終了間際になって、なぜみんながそんなに頑張ったのかを聞いて回って、その謎が解けた。

 第一に、村人たちは「重力灌漑」というものを知らず、畑に水が来るまで、水路からバケツで水を汲んで畑に運ばなければいけないと思っていた。チームが小さいと思っていた面積は、実は「こんな広いところにバケツで水を撒いていたら疲れて死んでしまう」と思うような広大な面積だったのだ。第二に乾季のメイズは粉にして主食シマ(ウガリよりも細かく挽くのでモッチリしている)にするのではなく、そのまま焼きトウモロコシ用に売っていた。そうすると価格は数倍になるので、面積が小さくても結構な儲けになった。第三に灌漑した畑は緑色になって、乾季にも遠くから目立つのでデモンストレーション効果が抜群で、普及などしなくても見様見真似で始める人が出てきた。

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実は重力灌漑を知らなかったと教えてくれた、ある水利組合の事務局長(マラウイ

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この事務局長が畑を指差して収入の計算をしているのを見て、メイズが商品作物だと気づいた。(マラウイ

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知らないうちに、一人でこんな水路を作ってしまった人がいた。(マラウイ

 そのような時に、それぞれの灌漑スキームを1つのプロジェクトとして扱って評価してもあまり意味がないのは明らかである。であれば、「期間限定・地区限定・対象限定・目的限定」というプロジェクトの定義を取っ払う必要があると考えた。そして① 1年・1シーズンだけではなく(「期間限定」ではなく)ある程度長期的に捉える、② プロジェクトに直接関わった人たちだけではなく、常に地域全体のことを評価する(プロジェクトの対象地域、ターゲット・グループという「地区限定」「対象限定」を外す)、③ 灌漑というプロジェクトだけではなく、そこから発生する様々な活動も併せて評価する(「目的限定」ではなく、開発に関わるすべての活動を対象とする)こととした。最初にプロジェクトを始めた人たちについては第二世代、第三世代と(まずは乾季の小規模灌漑が次の年もその次の年も継続的に実施されるか。さらに乾季に小規模灌漑をやったことで雨季に改良種子や肥料を購入するか、翌年にはじゃがいもやトマトに挑戦するなどの動きが出て来るかなどを)「垂直的に評価」する、さらにそのプロジェクト(この場合、小規模灌漑)が周辺の村や他の地域にどう拡がって行くかを「水平的に評価する」というやり方である。農村開発においてはプロジェクトらしい独立したプロジェクトというようなものはほとんどなく、すべてのプロジェクトが実はパイロット・プロジェクト、デモ・プロジェクト、あるいは実証プロジェクトであると考えた方が実態に近いのではないだろうか。

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垂直的な開発と水平的な開発の考え方(マラウイ

 そのような考えの延長として、ボレナ県の1年次対象の4郡16村でも、① 「期間限定」ではない継続的な活動(日常的活動)として、② 村中の人たちを「地区限定」「対象限定」ではなく面的に、そして、③ 「目的限定」ではなくすべての開発活動(協働)をモニタリング・評価することを基本にした。

評価5項目

 JICAで通常使われているDAC評価5項目(経済協力開発機構[OECD]の開発援助委員会[DAC]による国際的なODA評価の視点)に基づいた上で、RREPのモニタリング・評価では次のような「解釈」で臨み、5段階評価して貰うこととした。

効率性(efficiency)

① 活動は予定通りに進みましたか?

② こうやればもっと良かったというようなことがありましたか?

有効性(effectiveness)

① 当初考えていた目的は達成されましたか? どの程度達成されましたか?

② 次に同じような活動をするなら、ここはこうしたいということがあったら教えてください。

 

インパクト(impact)

① 活動をしたことで、何か良いことはありましたか?

② 良いことでも悪いことでも、活動をしたことによって何か変化が起こっていたら教えてください。

 

妥当性(relevance)

① まだこの活動を始めていなかったとして、いまの時点で新たに何か始めるとしたら、やはりこの活動を最優先にやりたいと思いますか?

② 政府の政策や戦略はいまでもこの活動を後押ししていると思いますか?

 

持続性(sustainability)

① 来年もこの活動を続けたいと思いますか?

② この活動を親戚や友だちにも勧めますか?

③ (普及員として)この活動を他の村々にも拡げたいと思いますか? もし拡げたくないとすれば何故ですか?

④ この活動で足りなかったこと、またこうすればもっと良かったというようなことがありますか?


 2013年の4月21日(日)ー22日(月)に予定されていた第1期の中間評価では、それぞれの村での活動について、下表のような評価表を使うことにした。

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第1期の中間評価(2013年4月21日(日)ー22日(月))のために用意した評価表。



 

(17) 大きなハロや牛の移動について引き続き話を聞く

Ella Areri(エラ・アレリ)について

 4月5日(金)、ヤベロ郡のAreri村に話を聞きに行った。村の畜産開発事務所(PDO)にはちょうど近くの長老たちが集まっていた。そこでヤベロの町の近くにあって一番重要なエラ(伝統的な井戸)であるElla Areriの管理や修復について話を聞いた。

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Areri村の畜産開発事務所に集まっていた長老たち

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Areri村の畜産開発事務所に集まっていたアバ・オラ(移住して来た人たちの集落)

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Areri村の畜産開発事務所に集まっていたアバ・オラ(移住して来た人たちの集落)

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Areri村の畜産開発事務所に集まっていた長老たち(クランの長老)

 「Ella Areriは、Galgalo HawayuとDubbana Kuraの2人が見つけたエラで、2人がHawatuクラン(ボラナ語ではゴサ[gosa])だったことから、その所有者(アバ・エラ)はHawatuとなっている。2人はそれぞれHawatuクランのBokoltu二次クラン(ボラナ語ではマナ[mana])とKura二次クランとに属していたため、Ella AreriはElla HawatuあるいはElla Hawatu & Kuraと呼ばれることもある。またBokoltuとKuraは、水源を見つけたことにより優先的に水を使うことのできるkonfi familyと呼ばれる存在である。そして3人のアバ・ヘレガ(水の管理人)もkonfi familyから選ばれる。」

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ヤベロ郡にあるElla Areri

 「エラの修復が必要になった時には、まずBokoltu二次クランが牛を屠殺し工事をする人たちに振る舞う。次にKura二次クランが牛を屠殺し、さらにエラを使っている人たちが牛を屠殺し…という形で工事が終わるまで続く。」
 「また家畜に水を飲ませる時、水が十分にない場合は、まずアバ・ヘレガ(konfi familyの2つの二次クラン)が水を飲ませ、次にhayyu(ゴサの長老)が飲ませ、後は来た順番に水を飲ませることになっている。水が十分にある時には、最初から来た順番で水を飲ませる。」

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Ella Areriには二次クラン(mana)別に水飲み場がある。

 「Ella Areriには水飲み場が7つあるが、2つは壊れているため、いま使っているのは5つである。修復に参加してくれる二次クランにはそれぞれ水飲み場が与えられている。エラの水源の泉には豊富な水量があるので、我々だけでは扱い切れないだろう。ただし所有権はいまも我々(HawatuクランのBokoltuとKura二次クラン)にあり、所有権を分け合っている訳ではない。水飲み場にはクラン(gosa)、二次クラン(mana)毎の名前が付けられている。1.Burka(HawatuクランBokoltu二次クラン)、2.Kura Adi (HawatuクランKura二次クラン)、3.Kura Dida (HawatuクランKura二次クラン)、4.Sunkaticha (Karayuクラン)、5.Kabisicha (HawatuクランKabiso二次クラン)、6.Arusicha (Arusiクラン)、7.Digalticha (Digaluクラン)だ。」(注:4番と6番の水飲み場はコンクリートにヒビが入っており、水が漏れ出していて機能していない。)
 「我々はElla AreriをsabboとGoonaとして(ボレナの2つの外婚半族。その2つの半族ということはボレナ全体)修復することを計画しており、当初は8万ブル(約38万2,400円)集める予定だったが、その後現金で6万ブル(約28万6,800円)、お金が出せない人には労働の形で2万ブル(約9万5,600円)とすることになった。凡そ8割は既に集まっているが、雨季に入ってみな耕作に忙しいので、残りがどのくらいかは確かめていない。また雨季で水飲み場自体が水に浸かっているので、いま水飲み場を修復するのは難しい。」

牛の移動について

 長老たちに、牛の移動についても訊いてみた。

 「干ばつが厳しい時、かつては牧草と水の両方のために人々は移動していた。けれどもいまはほとんど牧草だけのために、Galan Konso(南部諸民族州コンソ特別ワレダの通年河川にある辺り)に行っている。人々は昔ほどElla Areriに行かなくなっている。それはあちこちに水を飲める場所ができて水の状況が改善されたこと、また気候変動や農地の拡大によってElla Areriの回りによい牧草や土地がなくなったことによる。Galan Konsoにはよい牧草、広い土地、十分な水がみな揃っている。だから人々はそちらに行くのだ。他の地区からたくさんの牛がやって来て共有地が過放牧になってしまった時には、外から来た人たちと話し合って、一緒にGalan Konsoへ行っている。」

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大干ばつ時の牛の移動経路と大きなハロとの位置関係

 「乾季になってDharito村やDida Yabello村の人たちがGalan Konsoに移動する時には、1日目はHaro Bakeで水を飲ませ、2日目はElla Areriで水を飲ませ、3日目にはテルテレ郡Gerdoのポンプ式の井戸で水を飲ませ、そして4日目にGalan Konsoに着く。」

 「Arburo村からGalan Konsoに移動する時は、1日目はChari村のElla Kubiで水を飲ませ、2日目はテルテレ郡Gerdoのポンプ式の井戸で水を飲ませ、そして3日目にGalan Konsoに着く。」
 「Areri村からGalan Konsoに移動する時には、1日目はElla Areriで水を飲ませ、2日目はテルテレ郡Gerdoのポンプ式の井戸で水を飲ませ、そして3日目にGalan Konsoに着く。」
 「我々はアバ・ガダの任期に一度(ボラナのトップであるアバ・ガダは8年に一度交代するので、8年に1回ということ)くらいGalan Konsoに移動する。またDharito村やDida Yabello村やKella村辺りの人たちはまっすぐGalana Konsoに行くことができない。まずHaro Bakeに上がって、それからElla Areriに下がって来て、それから西のGalan Konsoに行く必要があるからだ。」

Haro Duba Dhokiについて

 堰が洪水で流されてしまったHaro Duba Dhokiについても訊いてみた。

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Haro Duba Dhokiの流されてしまった堰

 「Haro Duba Dhokiは最大級のハロで、Areri村のRera Dhadacha DhabaとRera Kukuba Katebu、それからCholkasa村のRera JijiduとRera Chookosa、さらにDhadim村などの家畜に水を供給することができた。Dharito村やDida Yabello村、Dikale村(すべてヤベロ郡)の人たちがGalan Konsoに行く時には、Haro Duba Dhokiを使っていた。Haro Duba Dhokiがなくなってしまったために、彼らはHaro Bakeに上がってからElla Areriに下りて来るという回り道をしなければいけなくなった。」

 「Haro Duba Dhokiはデルグ政権時代にブルドーザーを使って造られたものだ。5年くらい前にAFD(Action for Development。有力なNPO)が修復工事に取り掛かり、地元からも500人くらい参加したが、修復が終わらないうちに大洪水が来て、堰が流されてしまった。Haro Duba Dhokiにはシルトが堆積するという大問題があった。いずれにせよ堰が流されてしまったので、5年機能していない。」

 「Haro Duba Dhokiの修復を外部のプロジェクトとしてやっても何の問題もない。誰もがHaro Duba Dhokiを必要としているし、既にそこにある古いハロなので、新しい家が建つ心配もない。Haro Duba Dhokiの修復について合意を得るためには、関連する村の長老(arda)、関連する村のゴサの長老(hayyu)、そして関連する村の村長・副村長が集まって議論すればよい。」

Haro Fulo Bikaにて

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古いHaro Fulo Bika

 4月8日(月)はヤベロ郡Dikale村、アレロ郡のHallona村とWebi村、ディレ郡のHigo村とDhbuluk村の境界部分にあるHaro Fulo Bikaを見に行った。有力なNPOであるSORDU(Southern Rangeland Development Unit)がHaro Fulo Bikaのすぐ近くに新しいハロを建設していた。Haro Fulo Bikaはいまあるハロの中で一番古く、原型になったと言われている。新しいHaro Fulo Bikaの工事を請け負っているGuyo氏によれば:

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Haro Fulo Bikaの工事を請け負っているGuyo氏

 「PCDP(世銀のローンによるPastoral Community Development Project)で大きな予算が付いたこと、また古いHaro Fulo Bikaには水が貯まった状態だったことから、新しいハロを建設することにした。このハロに対するPCDPの予算は300万ブル(約1,434万円)で、3ヶ月前に工事が始まったが、既に最終段階に入っている。コミュニティは工事に参加しておらず、すべて機械/ブルドーザーで造っている。ハロの貯水量は53,000m3、137m☓120m☓4mである。ブルドーザーは時間単位で借りており、1日8時間で、約27,000ブル(12万9千円)/日払っている。」

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新しいHaro Fulo Bika

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新しいHaro Fulo Bika

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今の水深は1m50くらいか。

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新しいHaro Fulo Bika

 「我々はさらに2つハロを建設する予定だ。1つはDidara村とDanbala Saden村(共にヤベロ郡)の真ん中の位置で、既に工事が始まっている。もう1つはグジ県のNegele Borenaで、グジ、アルシ、ボレナが住んでいる地区だ。ここにハロを作る理由は、水不足によってこの3つのエスニック・グループが衝突するという問題を解決するためだ。」

 ハロの回りでたまたま出会った牧畜民(ヤベロ郡Dharito村の長老Golicha氏の一行。Golicha氏には村でもいろいろ話を聞かせて頂いたが、物静かで、丁寧に説明して下さる、とてもいい方だった。残念なことに、その夏、乗合バスの横転事故で亡くなってしまわれた)に牛の移動について訊いてみた。

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ヤベロ郡Dharito村の長老Golicha氏の一行

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ヤベロ郡Dharito村の長老Golicha氏

 「大干ばつの時以外は、あまりここには来ない。けれども大干ばつになるとケニアからも牛をトラックに積んで来たりする。大干ばつで牛が集中して過放牧になると、モヤレ郡やディレ郡、アレロ郡からもやって来る。最近では4年前にそういう事態になった。大乾季にHaro Fulo Bikaが枯れた時には、Haro Dambi Dikaleへ行っていた。Haro Fulo Bikaは2ヶ月くらいしか持たなかったからだ。」

 「ほとんどの場合、我々がここに来るのは雨季で、牧草のためだ。乾季の干ばつがよほど厳しくない限り、水のためにここには来ない。我々にはHaro Muyale、Ella Dharito (Dambicha)という大きなハロがあるからだ。ただどちらも修復(掘削)が必要である。Ella Dharito (Dambicha)はAFDによって修復されたことがあるが、現在はエラの牛の出入り口が問題になっており、特に乾季に牛が水飲み場に入ったり出たりするのが難しくなっている。今シーズンもエラから出ようとする時にラクダが1頭死んでいる。Haro Muyateは国道の工事をしている中国の建設業者が、水を運ぶトラックが入りやすいように掘り起こしたために、牛が水場に行きにくくなってしまった。新しくハロを造るよりも、Ella Dharitoを修復した方がよいと思う。」

 「乾季に人々はHarawayu村やDikale村からElla Dharitoに移動し、そこから南部諸民族州のコンソに向かう。したがってその人たちがElla Areriの方向に向かう時に便益を受けるハロの修復を優先的にやるべきではないかと思う。個人的な意見として、大きなハロは相互に距離を置いて造る必要があると思う。なぜなら、もしそれぞれの村が大きなハロを持つようなことになると、人々は移動しなくなり、同じ場所に長く留まることになる。そうすると過放牧や土壌劣化などの問題を引き起こす。牛の移動というのは、将来の牧草を守るためにも、必要なことなのである。」

Haro Burraにて

 4月9日(火)には、ヤベロ郡Dedertu村にあるHaro Burraを訪れた。

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Haro Burraの遠景

「Haro BurraはHaro Bakeよりも大きな、巨大な枯れることのない(造られてから一度だけ枯れたことがあるが…)ハロで、デルグ政権時代にブルドーザーによって造られた。乾季にはたくさんの村がここを利用している。我々は通常の乾季には移動することがないが、厳しい干ばつが来た時にはGalan Konsoに向かう。Galan Konsoに行く時には、途中でDugda Dawa郡にあるElla Burkaを使う。」

 「Haro Duba Dhokiを修復するというのは良い考えだと思う。Haro Duba Dhokiは大きなハロで、周辺の村々だけではなく、Galan Konsoに向かう途中で立ち寄る人たちも大きな便益を受けるからである。」

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Haro Burraで話を聞いた人たち

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Haro Burraで話を聞いた人たち

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Haro Burraで話を聞いた人たち

ヤベロ郡のその他の水源

 4月10日(水)には、長老たちの話に出てきたヤベロ郡Dharito村の重要な水源であるHaro MuyateとElla Dambicha(Dharito)を、4月11日(木)にはHidiale村の奥のAdde Gelchat村にあるElla Gelchatを見に行った。

 Haro Muyateはヤベロからモヤレに向かう国道沿いの大変便利な場所にある。長老が話していたよう、トラックが水際まで行けるよう造成されていて、牛に水を飲ませるのは大変そうだった。

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国道沿いの便利な場所にある大きなハロ、Haro Muyate

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Haro Muyateの水際を造成したため、牛が水を飲みにくくなった。

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夕暮れ時にHaro Muyateで水を汲む女性(2014年1月11日撮影)

 Ella Dambicha (Dharito)はDharito村の中心から山深く入ったところにあり、四輪駆動でも行くことができないので最後は歩いた。車が入れないとなると、セメントや機材を運ぶのも大変だったろう。

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Dharito村の中心からElla Dambichaに向かう。

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Dharito村の中心からElla Dambichaに向かう。

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Dharito村の中心からElla Dambichaに向かう。

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Ella Dambicha

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Ella Dambicha

 Ella GelchatはHidiale村の中心から、小川を渡って車で行くことが可能だった。コンクリート化の工事をしたのはAFDだが、資金はOxfamから出ていたとわかった。立派なエラだった。

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Hidiale村の中心からElla Gelchatに向かう。

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Ella Gelchat

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Ella Gelchat

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Ella Gelchat

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Ella Gelchat



















(16) ようやく気がついたこと

週末の食事

 3月30日(土)はテルテレ郡に聞き取りに出かけたので、お昼はテルテレの中心で定番のバイヤイナトゥ(ベジのインジェラエチオピア正教徒の多いアムハラ州では、毎週水金など肉断ちの日にだけこの料理を出す店も多いが、ボラナ県ではほとんどの店で毎日提供される)とパスタのセットを食べた。2人前なのでインジェラは2枚敷かれているが、実際には3人で食べている。「人数マイナス1」で注文することが多い。また上に載っている具の種類によって、その地区の農耕の様子も想像できる。テルテレ郡は北のコンソ特別郡(南部諸民族州)から移り住んできた農牧民コンソの人たちも多いので、野菜が豊富だ。

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ランチはテルテレ郡の中心でバイヤイナトゥー(ベジのインジェラ

 夜はヤベロのカフェでスプリス(ミックス・ジュース。これはパパイヤとアボカド。都会や果物の豊富な地域では3種、4種と豪勢なミックスになるが、ヤベロでは2種でもないことがあるし、村レベルではメニューにない)と、ベジタブル・ライス(パーボイルド米)にアボカド・サラダ。

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夜はヤベロでスプリス(ミックス・ジュース)。

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パーボイルド米のベジタブル・ライスとアボカド・サラダ。

 翌4月1日(月)もアボカド・サラダ(ある時に食べないと次にあるとは限らない)そしてマキアートを頂く。

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アボカド・サラダとマキアート。

「期間限定・地区限定・対象限定・目的限定」のプロジェクトというアプローチをやめる

 さて、3ヶ月ぶりにボレナ県(ヤベロ)に来て約2週間。RREPで1年次の対象とした4郡16村のコミュティ−・ベースの活動の様子を見聞きして、心の底から驚嘆した。こんなに上手く行ってよいのか、たまたまそういう村に来てしまったのではないかとも思ったが、毎日どこへ行っても同じような話ばかり聞こえて来るので、村人たちにとっては「普通に」上手く行っているのだろうということを確信した。ほんの3ヶ月前には、「お金を払わなければ働く訳がない」と聞いていたのが、本当に嘘のようだ。逆に言えば、そこまで村の人たちのことがわかっていないとは一体どうしたことか…。

 正直に白状すれば、配布した工具が「プロジェクト」以外の活動にも使われていると最初に聞いた時にも、「もしかして一部の人たちが工具を独占して使っているのではないか?」「耕作とか、私的な活動に使っているのではないか?」という疑いを持ってしまった。けれどもそれもまったくの杞憂だった。我々が「プロジェクト、プロジェクト」と思っているからそう見えてしまっただけで、村の人たちは「日常的に協働している開発活動」の中に我々の「プロジェクト」を位置づけ、日常的な活動の一環としてRREPの活動をやっているに過ぎないのだとようやく気づいた。要するにこれまで通り協働しているというだけなのだ。これにはもう唸るしかないと思った。

 では我々はどうすればよいのか、どんな役割を果たすことができるのか? まず第一に「プロジェクト」ではないのだから、やっている開発活動の定義、位置づけを変えなければならないと考えた。これまで村ごとに参加型ワークショップをやり、さらに優先度の高い「プロジェクト」を複数選んでもらうという「参加型計画プロセス」を取って来た訳だが、そんなものは「我々が勉強するのに役立った」というだけで、村の人たちには何の足しにもならないものだったに違いない。村の人たち、特に長老やリーダーたちは毎年毎シーズン、何を協働してやる必要があるかを考え、遊牧や耕作など他に必要な活動との間で優先度を決め、その決定にしたがって村の人たちは毎週の活動を続けているのだ。であれば県や州やまた我々のような外部の人間が、そのような「持続的、自立発展的な活動」から「期間限定・地区限定・対象限定・目的限定のプロジェクト」だけを切り出し、優先度を付けて工具や材料を「配分」することに一体何の意味があろう。そこで「プロジェクト」というアプローチをやめ、外部から優先度を付けたり「配分」したりすることもやめるということにした。

RREPアプローチ対プロジェクト・アプローチ

 ここに示す3枚の下手くそなチャートの写真は、週末に考えをまとめ、2013年の4月1日(月)に撮影したものだ。

 まず村人たちの日常的な活動と「期間限定・地区限定・対象限定・目的限定」のプロジェクトというアプローチとは一体何が違うのかを考えた。例えばハロ(ため池)の工事を考えた場合、通常は村人たちがショベルなどを使って掘って作り、そして毎年雨季になると堆積してしまうシルトをショベルで掘り返すという作業をしている。雨季が始まって土が柔らかくなり、一方牧草を求めて遠くに行っていた牛たちが戻って来た頃にはため池を拡張する活動も行われる。特に障害でもない限り、このような協働を村人たちはずっと続けて来ている。けれども例えば固い岩盤にぶち当たってショベルではどうにもならない場合にはノミとハンマーが必要になる。つまりそのような「問題」が生じた時にだけノミとハンマーのような特別なインプットを準備し、「期間限定・地区限定・対象限定・目的限定」のプロジェクトで解決すればよいのだ。それが終わればまたショベルで日常的な活動を続ければよいということになる。

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RREPアプローチ対プロジェクト・アプローチ(コンセプト)。

 ではプロジェクトでいうターゲット・グループ(対象)、期間、問題解決などをRREPではどう扱えばよいのであろうか。プロジェクトでは「期間限定・地区限定・対象限定・目的限定」であるだけではなく、細かな計画やインプットも固定される。けれどももしRREPをコミュニティ・ベースの日常的な活動の中に位置づけるとすればどうだろうか。ターゲット・グループ(この場合、直接的な受益者であると同時に活動の主体でもある)は人の飲用のハロ(ため池)であれば1つか2つ程度のオラ(自然集落)であるが、家畜用のハロはレラ(牧草地の単位)あるいはゾニ(1つの村を3つに分けた地区)単位で運営されるので通常5ないし10というような数のオラがターゲット・グループとなる。さらにエラ(伝統的な井戸)の改修となればその所有者であるアバ・エラ(通常はクランの所有)を中心にさらに多くに人々がターゲット・グループとなる。つまり同じオラがいくつもの異なる活動に参加しており、しかも活動の種類によってターゲット・グループは大きくなったり小さくなったりしているのである。では期間はどうであろうか。プロジェクトというのは数ヶ月だったり数年だったりという形で期間を限定したアプローチであるが、コミュニティの活動には期限はなく、持続的、自立発展的な活動ということになる。さらにプロジェクトの目的は通常一つであり、しかも予め設定されるが、コミュニティの活動は多岐に渡っており、したがって状況に合わせていくつもの目的が日替わりで変わって行くということになる。

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RREPアプローチ対プロジェクト・アプローチ(ターゲット・グループ、期間、目的)。

 ではそのRREPをどうモニタリングし、評価すればよいのであろうか。プロジェクトの場合はPDAサイクルのようなものが設定され、分析、戦略設定、プロジェクト・デザイン、実施、モニタリング、評価、事後評価というような順で実施される。けれどもRREPでは、多様な活動が異なるターゲット・グループ(直接的な受益者であり同時に活動の主体)によってある時は同時並行(週の中で水金の活動、火木の活動というように進行する)で、ある時は月あるいはシーズン毎に入れ代わり立ち代わり実施される。となると、それを外部者がつきっきりでモニタリングし評価することなどまったく不可能であり、それぞれの活動について村(集落)単位で記録し、評価するのが良いのではないかと考えた。幸いなことに村には3人の普及員が配置されており、それぞれが3つあるゾニを1つずつ担当している。そこでその普及員たちにお願いして記録を取って貰うため、必要なフォーマットをこちらで準備し、モニタリング・評価までして貰うということを中間評価のためのワークショップで提案することにした。

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RREPアプローチ対プロジェクト・アプローチ(モニタリング・評価)。










 

 

 

(15) さらに聞き取りを続ける

アレロ郡の村でのコミュニティ・ベースの活動

 3月29日(金)はアレロ郡のGada村の話を聞いた。ただし川が増水していたため、Gada村のセンターには行くことができなかった。

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Gada村に行く途中の道で

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Gada村のセンターの手前の川

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Gada村のセンターの手前の川

 「Haro Dubaの漏出を防ぐための工事が2週間前から始まっており、3つのガレが参加している。Gare Labu Wale、Gare Jirenya Gada、Gare Haro Buleの3つで、火曜日、水曜日、土曜日と週3回、それぞれのガレから15人ずつ出て協働している。またRREPで配布された材料はHaro Dubaの手押しポンプの修理に使った。」

 「ブッシュの伐採と柵の補修(Kalo Halake GuyoとKalo Huka Boru)も2週間前に始まっており、Gadaゾニの9ガレ全て(計112世帯)から15人ずつが参加してやはり週3回(火水土)協働しており、既に12ヘクタールをカバーした。新しいエラの建設はまだ始まっていない。」

 「SeleゾニではHaro Charfi Wakoの掘削工事が始まっており、2週間で10m3掘り終えた。Soleゾニの3つのガレから10人ずつが参加している。Kalo Dhadacha Galmaのブッシュ伐採と柵の補修は既に終わっており、3つのガレから25人ずつ参加して行われた。RREPから配布された60kgのローズグラスの種子については、来週種蒔きする予定になっている。新しいエラの建設はまだ始まっていない。」

 「Kubi Annoゾニでは、Haro Tariの掘削が既に終わっており、1ヶ月で52 m3を掘削した。3つのガレ(Gare Kufa Baldhina、Gare Dagagina、Gare Wanga Kufa)から12人ずつ参加していた。Kalo Kubiの柵の補修は既に終わっているが、ブッシュ伐採がまだ終わっていない。これにはゾニの全てのガレが参加している。Ella Kubi Annoの工事は雨のためまだ始まっていない。」

テルテレ郡の村で

 3月30日(土)はテルテレ郡のBule Korma村、Bila村、Jararsa村で話を聞いた。ヤベロからテルテレの町までは車で約1時間半、そしてそこから20〜30分でBule Korma村に達する。Bule Korma村ではまずシェアクロッピングのやり方について聞いた。この辺りは北のコンソ特別郡(南部諸民族州)から来たコンソの人たちが耕作農業をしているが、地主は基本的にボラナの人たちである。

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テルテレ郡Bule Korma村の景色

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テルテレ郡Bule Korma村で話を聞いた人

 「地主が種子や牛や肥料などのインプットを提供する場合は収穫の2/3を地主が、1/3をシェアクロッパーが取る。ただし地主が10ティマド(6 timadが1haなので約1.7 ha)の土地を持っていたとしても1ティマドしかこの方式は取らない。一方、インプットもシェアクロッパーが自前でやる時には、地主が収穫の1/3、シェアクロッパーが2/3となる。」

 「我々のレラ(放牧地の単位)には3つの大きなハロと、たくさんの小さなハロがある。大きなハロはHaro Tumphe、Haro Wasule、Haro Elema Jasoで、Haro TumbeはDERG(軍事調整委員会)政権時代に組合が建設したが、他の2つはコミュニティで建設した。Haro Wasuleは2年前に、Haro Elema Jasoは1年前にNPOのGPDI(Gayo Pastoral Development Initiative)が掘削している。小さなハロのうち家畜用なのはHaro KombochaとHaro Kalkalchaだ。ハロの掘削が必要になった時は、小さなハロの場合はアバ・オラ(集落の長)が、大きな家畜用のハロの場合はジャルサ・レラ(レラの長老)が意思決定する。ハロの掘削や流域保全管理のような協働活動をする時は、通常朝6時から始めて、活動が終わってから農作業など他の作業をする。」

 Bila村でもシェアクロッピングについて聞いた。

 「誰かがシェアクロッピングをしたいと言って来て、自分が種や牛などのインプットを提供するのであれば、収穫の1/3は彼が、2/3は自分が取る。借り手がインプットを出すのであれば借り手が2/3、自分が1/3で、そのやり方をsisoと呼ぶ。自分がインプットを提供する方式は、自分が例え1haの土地を持っていたとしても、1 qarti(qarti = ティマド)だけしか取らない。シェアクロッピングの場合、借り手は耕起、草取りなどをするだけではなく、収穫も自分たちでやる。また借り手が貧しくて収穫を手伝う人たちを雇えない場合は、地主がお金を貸して、収穫が終わって売れるまで返済を待つ。」

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テルテレ郡Bila村の景色

 「Haro Mabaraという大きなハロが1つあり、これはDERG政権時代に建設されたものだ。このハロを我々は人の飲用と家畜用の両方に使っている。もう1つ、Haro Jatani Libanという小さなハロがあり、これは人の飲用専用だ。このハロはJatani Libanが作ったものだ。また流域保全管理プログラムで、新しいハロを作っている。Haro Mabaraの管理運営はレラで行っており、Haro Jatani Libanの管理は利用者である3つのオラ、Olla Yebo Tsegaya、Olla Wario Danfa、Olla Bura Hukaが行っており、掘削もその3つのオラでやっている。」

 Jararsa村の農家で話を聞いた。
 「1ティマドの農地で、通常はインゲンマメ、メイズ、テフを作っている。集落にはシェアクロッピングをしている人たちもいて、地主が種子と牛を提供する場合、地主が8ティマドの土地を持っていたら、1ティマド分の収穫を借り手に渡し、残りを地主が取る。土地は10ティマドあるいはそれ以上のこともある。地主は土地だけを提供し、借り手が種子と牛を出す場合は、地主は収穫の1/3しか取らず、借り手が2/3となる。土地も牛も持っていない人たちが土地も牛も持っている地主の土地でシェアクロッピングする場合、1ティマドだけ地主から借りる。一方、種子と牛は持っているけれど土地を持っていない人たちがシェアクロッピングする場合は、収穫の1/3だけを地主に提供する。」

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テルテレ郡Jararsa村の畑

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テレテレ郡Jararsa村で話を聞いた人

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テルテレ郡Jararsa村で話を聞いた人の家

 「レラにはハロがなく、雨が降っている間は出水を使っている。雨がやんだ後はElla Daresaまで行く。エラまでは歩いて1時間以上掛かる。実はハロも2つあるのだが、集落に近いハロは水が1週間しか持たない。もう1つのハロは遠くて、しかも道路際にあるため、通る人が手足を洗ったりしており、飲むのに適していない。レラで新しいハロを建設するという話は聞いたことがない。ただGara Aanani村では、自分たちでハロを建設しているそうだ。」

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テルテレ郡からヤベロに戻る途中

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テルテレ郡からヤベロに戻る途中

ヤベロ郡の村で

 4月1日(月)にはヤベロ郡の中で一番東にあり、アレロ郡と接しているDikale村の山間の集落で、著名な長老から話を聞いた。

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ヤベロ郡Dikale村の長老

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ヤベロ郡Dikale村での聞き取り風景

 「ゾニで唯一の大きなハロはHaro Dambi Dikaleだが、小さなハロは村の中にいくつもある。加えて我々にはElla Dikaleもある。Ella Dikaleは牛専用で水を飲む順番も厳密に管理されているTulla Ellaと呼ばれる種類のエラではなく、人の飲用にも使え、順番に並んで(first come first served)使うことのできるAddadi Ellaと呼ばれる種類のエラであり、しかもアバ・エラ(Abba Ella、伝統的な井戸の所有者)は我々のゴサ(氏族)Miloだ。乾季には他の村からもElla Dikaleにたくさんの牛が来る。」

 「Adadi Ellaの補修が必要だとなった場合には、エラの近くの長老(レラを代表するジャルサ・レラ)が集まって決めるが、Tulla Ellaの場合は、特別に大きなエラなので、ゴサ(氏族)の代表たちが集まる会議の開催が必要になる。」

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ヤベロ郡Dikale村で水汲みに行く子どもたち

 「Haro Dambi Dikaleは、DERG政権時代にブルドーザーを使って作られたが、他のハロは我々とコミュニティの食料提供(エラやハロの掘削をする場合、近くの人たちは労働で、遠くの人たちは食料提供で協働する)で作った。Haro Dambi Dikaleの利用者は我々の属するレラ(Haro Guyo Charfo Rera)の12のオラに加えて、Dikale村の3つのレラ(Danbala Aba Chana Rera、Horate Rera、Nagella Rera)、Danbala Sadan村の2つのレラ(Hara Hawatu Rera、SIku Rera)、アレロ郡Hallona村の2つのレラ(Danbalota Rera、Midanu Rera)である。レラ(Haro Guyo Charfo Rera)の他のオラは、Haro Muyateの方が近いので通常はそちらを使っている。Haro Dambi Dikaleはシルトが溜まって大きな問題になっており、その掘削はコミュニティの能力を超えている。シルトのためにハロは十分な水を貯めることができず、いまの長雨季(Hagaya Rainy Season)にさえ、牛7日分の水しかない状態である。Haro Dambi Dikaleは13年前にコミュニティによって掘削されたが、SORDU(官製NGO)が2012年の小乾季(Bona Adolessa:6月、7月、8月)にも掘削している。その時は1ヶ月水が持った。Haro Dambi Dikaleのアバ・ヘレガ(水の管理人)はMurku Liben、Kiya Gufu、Dida Saraの3人で、Dambi Dikale ReraのOlla Guyo Jataniにいる。」

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Haro Dambi Dikale

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Haro Dambi Dikale

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Haro Dambi Dikale

「Haro Dambi Dikaleの回りにはよい牧草があるのでたくさんの家畜がやって来る。そのためいずれにせよHaro Dambi Dikaleの水が3ヶ月以上持つことはない。いま我々はオラの近くのHaro Godanaという小さなハロを使っている。どちらのハロも水がなくなったら、ヤベロ郡Darito村にあるHaro Muyateに行く。ここは乾季にたくさんの村のたくさんのオラや使っている大きなハロである。我々はここを家畜用に使っている。また乾季の人の飲水にはElla Dikaleを使っている。」

 「もし人の住んでいないところに新たに大きなハロを作るとなると、たくさんの人が集まって住むようになり、牧草の劣化という新たな問題を引き起こすことになるだろう。したがって私は新たなハロを作るよりも、Haro Dambi Dikaleを掘削した方がよいと思う。Haro Dambi Dikaleまではここから2時間掛かる。このハロは集水域が広く、多くの川が山々を縫って流れ込んでいる。我々にはElla DikaleやHaro Muyateもあるので、Haro Dambi Dikaleが掘削できれば問題はなくなると思う。Haro Dambi Dikaleの工事を外部がやることには問題はないと思う。なぜなら誰もが掘削を望んでいるからである。意思決定には村やアルダの長老、つまり村長(Malicha Simpire)、副村長(Bidu)その他の開発委員会のメンバーの会議が必要なだけである。Haro Dambi Dikaleの掘削についての会議を開くのであれば、12月か1月がよい。」

 「あるNGOが、Webi村、Higo村、Dubuluk村の境界にある大きなハロ(Haro Fullo Bika)の掘削を始めると聞いたが、NGOの名前は知らない。もしそのようなハロの拡張工事が進むのであれば、新しい水源の工事よりも、Haro Dambi Dikaleの問題に焦点を当てた方が、この地域の人々の水不足の解決になると思う。」

 アレロ郡Fulldowa村でも普及員から開発活動の状況について話を聞いた。また道中、プロジェクトで配布した工具を受け取って帰る途中の女性たちを見かけた。

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アレロ郡Fulldowa村の普及員

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工具を受け取って帰る途中の女性たち

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工具を受け取って帰る途中の女性たち

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工具を受け取って帰る途中の女性たち

 「DambiゾニではHaro Bonaya Dikaの掘削が2週間前から始まっており、2つのガレ(Gare Liben Xune、Gare Dika)から15人ずつ参加して協働している。Robaゾニでは、Haro Halakeの掘削が1ヶ月前から始まっており、やはり2つのガレ(Gare Dhaka Warabesa、Gare Badhasa)から15人ずつが協働していた。けれども雨が降り始めてハロに水が貯まったため、工事はストップしている。Qufaゾニではハロの掘削はまだ始まっていないが、Kalo Dhaka Barichaの柵の補修はゾニとして既に始めている。全てのレラでカロの柵の補修は始まっているが、ブッシュの伐採はまだやっていない。RREPで研修した全ての農民たちはメイズの種を正条植えで蒔いた。来週はテフとインゲンマメの種蒔きをする予定になっている。FTC(Farmers’ Training Center:農民研修センター)の回りでは、メイズ、インゲンマメ、テフの優良種子を蒔いており、すべてのレラから週2回、農民が参加している。この活動の目的はすべての村人たちの意識を向上させることにある。」