いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(14) 開発活動について聞き取りを続ける

ディレ郡の村でのコミュニティ・ベースの活動

 2012年3月21日(木)は第1年次では対象にならなかったディレ郡の村で話を聞いた。

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話を聞いた村の長老

 「我々の主食はシュモ(shumo)で、メイズとインゲンマメを塩茹でしたものだ。たまに小麦が手に入った時にはキタ(kitta)と呼ばれるパンを焼く。けれどもインジェラを焼くことはない。」

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メイズを塩茹でしたシュモ

 「食事は1日に2回、お昼と夜にシュモを食べる。ヤギや羊は年に2回、乾季が終わる直前の一番厳しい時期、主食の代わりに屠殺して食べる。牛を屠殺するのはジラ(jila命名式、男の子が6ヶ月から2歳の間に行う)の時だ。ジラで屠殺した牛の頭蓋骨は家の屋根の上に飾る。」

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入り口の上には牛の頭蓋骨が飾られている

 「我々は2つの人の飲用のハロと2つの家畜用のハロを使っている。8つのオラが同じレラ(放牧地の単位)に属していて、ハロも共通である。人用の大きなハロは3ヶ月使うことができ、ここから20分のところにある。また家畜用の2つのハロは30分くらいのところにある。ハロの水がすべて枯れてしまった時、家畜にはエラ・マダチョ(3時間くらいの距離)に、人用にはポンプ式の井戸(1時間くらいの距離)に行く。」

 「今年の乾季は、3つのハロの掘削工事を行った。掘削には8つのオラがすべて参加したが、干ばつのため水や牧草を求めて牛を移動させなければいけない人たちが多くて、それぞれの村から1日平均10人くらいしか掘削工事に参加しなかった。雨季(Ganna Season)にはハロの拡張工事を行う予定である。雨季になってほとんどの人たちが帰って来て、工事への参加者が増えることを期待している。」

「ハロにはそれぞれアバ・ヘレガがいて水の管理をしている。また掘削工事や2つの人用のハロ、2つの家畜用のハロの運営は、レラで行っている。」

ヤベロ郡の村でのコミュニティ・ベースの活動

 3月23日(土)には再びヤベロ郡のHidiale村、Obda村、そして丘の上のYubdo村を訪れた。まずHidiale村で19日(火)にも訪れたばかりのHaro Hidi Dikoで工事についての話を聞いた。

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ヤベロ郡Hidialle村のHaro Hidi Diko

 「Haro Hidi Dikoの掘削は25日(月)から始める予定だ。明24日(日)にレラの会議を開き、Haro Hidi Dikoの工事を週何回、何人くらいの参加でやるか、そして工事と雨季の農作業をどう両立させるかについて話し合うことになっている。ハロやカロ(柵で囲まれた放牧地)の運営について取り決めをする時は、アバ・オラ(自然集落の長)、カエ(Qa’e、レラの長老)、ゾニのリーダー、ガレ(行政集落)のリーダーが集まってレラ・レベルの会議を開く。それから3つのゾニ(この辺りではゾニとレラは同一)の代表が集まってPA(行政村)レベルでそれぞれのゾニの活動計画とその優先度について議論する。このPAの会議には村長(PA Chairperson)、ジャルサ・アルダ(Jarsa ArdaPAのリーダーたち)、ゾニのリーダーたち、ガレのリーダーたちが参加する。アルダは通常2つか3つのレラが集まったもので、ジャルサ・アルダはそのリーダーであり、水と牧草についての会議(Kore marraa fi Bishaan)のメンバーである。それぞれのハロにはアバ・ヘレがいて、牛に水を飲ませる際の管理を行う。」

 Obda村のNyaroゾニでは、Haro Dima Ketelo、Haro Arero Doyo、Haro Mahabaraの3つのハロを掘削する予定だという。

 「雨季が始まってしまい、多くの人が農作業に忙しいため、工事をいつ始めるかはまだ決めていないが、明24日(日)にはレラ・レベルの会議を開く予定である。いまのところ、活動するのは朝6時から7時までになりそうである。ため池の活動も農作業もできるのは今しかないため、工事は農作業から戻ってからということになる。Gare BirbisaとGare Tulaの2つのガレがHaro Arero Doyoの掘削を、Gare Dire、Gare Adado、Gare Dhaka Dimaの3つのガレがHaro MahabaraとHaro Dima Keteloの掘削を行うことになっている。」

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ヤベロ郡Obda村Nyaroゾニでの耕起/種蒔きの様子

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ヤベロ郡Obda村Nyaroゾニでの耕起/種蒔きの様子

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ヤベロ郡Obda村Nyaroゾニでの耕起/種蒔きの様子

 「3月13日(水)にレラ・レベルの会議を開き、ショベルやツルハシ、斧、鍬の工具はその時に工事に参加するガレに配布した。けれどもハンマーや一輪車、バールは数が少なくガレに配ることができないので、工事の指揮を執るゾニのリーダーたちに配布した。今シーズン計画された活動が終わった後も他の活動のために工具を使って行く予定である。」

 「Haro Mahabaraは人と家畜の共用だが、Haro Dima KeteloとHaro Arero Doyoは人専用のハロである。今あるハロはみな中規模なものなので、2ヶ月以上は持たない。そこで乾季には人も家畜も1時間掛けてElla Gale、Ella Nana’aまで行くことになる。大旱魃の時は3時間掛けて、ヤベロ郡Borema村にあるElla Boqeまで行く。人専用のハロ以外にはアバ・ヘレガがいて家畜に水を飲ませる際の管理を行う。またすべてのハロの掘削や運営はレラで行う。」

 丘の上のYubdo村は北から来たブルジの人たちの住む村である。

 「我々はYubdo村の中にある2つのハロ(Haro NadheniとHaro Mahabara)、1つのエラ(Ella Komole)を使っている。Haro Nadheniは人の飲用で、女性グループが掘ったものなので、管理も女性グループが行っている。Haro Mahabaraは家畜用でアバ・ヘレガが水の管理をしている。どちらも大型のハロなので、雨季に十分な雨が降れば、乾季が終わるまで使うことができるが、干ばつで干上がってしまった場合にはElla Komoleを使うことになる。Ella KomoleはElla Hawatuと呼ばれることもあり、もともとはYubdo村のあるGesuゾニに所属していたが、いまはヤベロの町の管轄下にある。ハロの掘削や運営はレラで決めている。」

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ヤベロ郡Yubdo村の農作業の様子

 ヤベロに戻って来ると、毎週土曜日の市から帰って来る人たちがいた。

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市から帰って来る人たち。丘の向こうから来たという。

マルカ・ソーダ郡の村でのコミュニティ・ベースの活動

 3月26日(火)と28日(木)は車で2時間以上掛かるマルカ・ソーダ郡(主にグジの人たちが住む地域で、2016年には新たにできた西グジ県の一部として独立した)の村々で開発活動についての話を聞いた。まずはHadha Gora村のDhadacha Horaゾニである。

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マルカ・ソーダ郡Hadha Gora村の長老たち

 「Dhadacha Horaと呼ばれるカロ(柵で囲った牧草地)は、Gora MalkaとKuro Senteriの2つのガレ(行政集落)の間にあり、明日ブッシュの伐採や柵作りをする予定になっている。RREPチームから先週ローズグラスの種子を受け取ったので、明日、耕起と種蒔き、ブッシュの伐採と柵作りを同時にやるつもりだ。PAのチェアパーソンと副チェアパーソンが中心になって、8つのガレが参加の予定だ。それぞれのガレからは10人が参加することになっているが、一番カロの恩恵に与るGare Gora Malkaは全ての世帯が参加する予定だ。Gare Koru Senteriにも大きな恩恵に与るが、遠方にあるため参加は10人だけになる。他の6つのガレには直接の恩恵はないが同じ地区のガレなので助けに来ることになっている。それは他の開発活動でも同じで、直接の恩恵があるかどうかに関わらず、皆が参加する。Dhadacha Horaゾニには16のガレがあるが、残りの8つのガレは明日同じ時間に、流域保全管理のプログラムでローズグラスの種蒔きをすることになっている。」

 「RREPの放牧地研修には村からの指示でこのゾニからも10人が参加した。彼らがカロ管理委員会のメンバーになり、活動を監督する。明日の活動も彼らが運営し、将来もモニタリングする。明日は全体でカロの整備に100人、流域保全管理に100人参加する予定だ。」

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マルカ・ソーダ郡Hadha Gora村の人たち

 「このゾニにはハロが1つとエラが1つあり、いずれにもアバ・ヘレガがいて水の管理をしている。ハロやエラの掘削など工事が必要な時は、ゾニのリーダーたちがゾニのコミュニティに諮って予定を決定する。掘削には直接の受益者かどうかに関わらず、地区のすべてのコミュニティが参加する。幸い川(Dawa川という通年河川)があるため、他のハロやエラは必要ない。乾季、家畜には川の水を飲ませることができるからだ。」
 聞き取りの最中、村人がやって来てゾニのリーダーと議論になった。彼はローズグラスの種蒔きについて聞いておらず、カロの中にローズグラスを植えてしまったら、ヤギを一体どこに放牧させればよいのかと訊いて来た。そこでゾニのリーダーは今夜そのガレで集まりを持ち、プロジェクトについて説明した上で作業を始めることを約束した。

 次にGallo Bokola村のHaro Misoma Batesalifiゾニで話を聞いた。

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マルカ・ソーダ郡Gallo Bokola村の人たち

 「Gallo Bokola村のHaro Misoma Batesalfiゾニにあるのは乾季に人が飲用に使うHaro Misomaだけである。牛の飲み水には雨季も乾季もDawa川を使っている。Haro Misomaの掘削は3週間前に始めており、週に1回、火曜日に集まっている。このゾニには8つのガレがあるが、掘削に参加しているのはHaro Misomaの利用者である4つのガレである。Dawa川から飲水を運んで来るのは大変なので、大乾季にはHaro Misomaの水を、雨季には洪水による出水を使っている。」

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マルカ・ソーダ郡Gallo Bokola村のHaro Misoma

 2日後の3月28日(木)、Hadha Gora村Dhadacha HoraゾニのKalo Dhadacha Horaを再び訪れて、種蒔きの様子を見せて貰った。

 「3月26日(火)の夜にカロDhadacha Horaについての会議を持った。当初は8つのガレが参加する予定だったが、作業について話し合った結果、2つのガレで十分だということになり、このカロの直接的な利用者・受益者であるガレMalka HoraとガレKoru Senteriで耕起と種蒔きをすることになった。2つのガレの代表、ゾニの代表、村長、副村長、2つのガレを代表する長老ジャルサ・ビヤ(Jarsa Biya)などが集まってこの決定をした。ジャルサ・ビヤは集団を代表する長老なので、ガレのようなはっきりした地理的な範囲を持たない。通常、ジャルサ・ビヤはゴサ(gosa、氏族)や村レベルの紛争などの解決に当たる。」

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マルカ・ソーダ郡Hadha Gora村のKalo Dhadacha Horaでの種蒔きの様子

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マルカ・ソーダ郡Hadha Gora村のKalo Dhadacha Hora

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マルカ・ソーダ郡Hadha Gora村のKalo Dhadacha Horaでの種蒔きの様子

 「一方、残りの6つのガレは、橋の工事に参加することになった。この橋は川向うのGallo Bokola村Xile Lukaゾニが始めたもう一つのRREPプロジェクトである。この橋は当初我々の計画には入っていなかったが、Xile Lukaゾニと我々のDhadacha Horaゾニがつながるのは大変重要なことなので、Xile Lukaゾニに協力する必要があると考えた。」

 「種蒔きとブッシュの伐採は昨3月27日(水)に始まり、2つのガレから合わせて30人が集まった。そして2クインタル(200kg)のローズグラスの種を蒔いた。残りの1クインタル(100kg)は3月30日(土)に蒔く予定である。今日はカロにヤギが入るのを防ぐ柵を作る。」

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マルカ・ソーダ郡のHadha Gora村とGallo Bokola村の間を流れるDawa

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マルカ・ソーダ郡のHadha Gora村とGallo Bokola村を結ぶ橋の工事

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マルカ・ソーダ郡のHadha Gora村とGallo Bokola村を結ぶ橋の工事

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マルカ・ソーダ郡のHadha Gora村でミルクをご馳走になった。

 最後にマルカ・ソーダ郡の奥の方にあるBurka Dagaga村、さらに標高2,000mくらいあると思われるハイランドのGubata Bicho村で普及員から話を聞いた。

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ハイランドにあるマルカ・ソーダ郡Gubata Bicho村の風景

 「Gubata Bicho村のBore Neka ゾニでは月曜日からブッシュの伐採と柵の修復を始めた。これはゾニとしての活動で、10あるガレから10世帯ずつが参加している。Haro Bortichaの掘削も始めたが、雨が降り始めたので1日で中断している。水位が下がったら掘削を再開する予定だ。ハロの掘削には主な利用者である3つのガレから10人ずつが参加することになっていたが、初日は2つのガレしか参加しなかった。連絡が間に合わなかったという。」

 「もう1つ、新しいハロの建設があるが、工事はまだ始まっていない。ただいつ始めるかの議論は既にしており、ブッシュの伐採と柵の修復が終わったらゾニにある10のガレで取り掛かると言っている。」

 「Hilnto Kojowaゾニでは、Ella Bicho Hilntoの工事が既に終わっている。8つのガレから10人ずつ出て、毎週土曜日と木曜日に工事していた。Bore Neka村のセンターとHilnto Kojowaゾニのセンターを結ぶ道路の修復も、8つのガレから15人ずつが参加して、毎週水曜日と月曜日に行われている。」

 「Uda`o Gobuゾニでは2つのガレがElla Irbibaの修復を始めている。工事は週2回、月曜日と木曜日だ。初日にはUda`o Gobuガレから45人、Ibichaガレから17人が、2日目には2つのガレから20人ずつが参加していた。道路の修復も計画されており、エラの修復が終わってから道路に取り掛かるか、あるいは雨でエラの修復ができなくなったら取り掛かるかになるだろう。」

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Gubata Bicho村では道端でアボカドを売っていた。

 Burka Dagaga村でも普及員から話を聞いた。

 「Tesso Komoleゾニでは道路の修復と灌漑の活動を既に始めている。道路の修復には7つのガレから10人ずつが水曜日と土曜日の週2回参加している。Dawa川の近くでは果物と野菜の灌漑を組合で始めている。組合には42人の会員がいるが、まだ希望する例えばキャベツ、胡椒や玉ねぎの苗や種子を手に入れられずにいる。」

 「AdamaゾニではHaro Adama、Haro Guraiti、Haro Oshokoの掘削を終えている。彼らはRREPの工具が配布される前から活動を始めていて、週1回8週間協働した。Haro Aramaの掘削は1つのガレから30人が出て行った。Haro Guratiには2つのガレから20人が、Haro Oshokoには1つのガレから22人が出た。ブッシュの伐採はまだ始めておらず、いまやっている活動が終わってから、ゾニのすべてのガレの参加でやる予定だ。」

 「Haro Lu`oゾニではHaro Lu`oとElla Burkaの掘削を始めている。Haro Lu`oの工事は2週間前に始まったが、雨で止まっている。Ella Burkaは3週間前に始めたが、こちらも雨で止まっている。ブッシュの伐採はまだ始めていないが、すぐにも始める計画である。」



















(13) コミュニティの協働の様子をモニタリングする

再びボラナへ

 2012年12月21日(金)の朝にヤベロを出て南部諸民族州の州都アワサに1泊した後アディス・アベバに向かい、12月23日(日)夕方の便で帰国の途についた。そして約3ヶ月後の3月15日(金)には夜の便で成田を立ってドバイ経由再びアディス・アベバ入りし、空港からそのままアワサに向かって1泊した。

 現場で少しでも長く過ごしたかったので、だいたいいつもアディス・アベバは素通りで、アワサに泊まっていた。アワサには大きな湖もあり、ボレナ県では食べることのできない魚やチキンを食べることができる。イタリアン・レストランもある。電気やお湯やネットの心配をする必要もないということで、私たちには言わばオアシスのような場所であった。月に1回、時には2回、ボラナ県からアワサに上がるのがどれだけ楽しみだったか…。

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大好物のフィッシュ・ゴラーシュ

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ティラピアのフライ

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ベジのインジェラ、バイヤイナトゥー

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レストランに現れたグリベット・モンキー

ダス郡でのコミュニティ・ベースの活動

 17日(日)にヤベロに入り、18日(月)にはダス郡の3村、19日(火)はヤベロ郡の3村、20日(水)はアレロ郡の2村と第1年次のコミュニティの活動を見て回った。例えばダス郡のHarjarte村では、1つの行政集落(ガレ)の3つの自然集落(オラ)がHaro Sasureというハロ(ため池)の掘削を10日前から始めていた。同じ3つのオラでもう1つHaro Kiyaというハロも使っているが、そちらはHaro Sasureの工事が終わってから取り掛かるという算段だった。Haro Sasureは岩が多いので、ノミがあると助かるという。また現在のサイズでは小さすぎるので、25m×8mくらいの中規模のハロにしたいとのことだった。村人たちは週4日働いており、平均で13人が集まっているという。現在は掘削を行っているが、雨季になって地面が柔らかくなったら拡張に取り掛かりたいとのことだった。また工事を始めるに際しては、3つのオラからそれぞれ2人ずつの代表が選ばれ、計画作りや村人の動員の任に当たった。水の管理人(アバ・ヘレガ)は水の管理だけが仕事だが、6人の代表はこのハロだけではなく他のハロや放牧地(カロ)での活動など、すべての協働活動を担当するという。Haro Sasureは小さいので現在は人間と仔牛だけしか利用できないが、中規模になれば500〜1,000頭の牛、大規模になれば2,000〜3,000頭の牛に水を飲ませることができる。Olla Sasureは8世帯しかなく、全世帯がKareyuクランに属する親戚同士だという。また工具はOlla Sasureできちんと保管されていた。

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ダス郡Harjarte村のHaro Sasure

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ダス郡Harjarte村のHaro Harjarte

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ダス郡Harjarte村のHaro Harjarte

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オラで管理している工具

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オラで管理している一輪車

 ダス郡ダス村のHaro D.K.では、雨が降り出してしまったため、掘削は諦めて拡張の工事を始めるとのことだった。アバ・ハロ(ため池の長)のD.K.氏はオレンジやグアバ、マンゴー、スイカ、レモン、コーヒーなどをハロの近くに植えていた。このハロは人間の飲用で、家畜用には他の複数のハロを使っているという。また周辺の10くらいのオラの人たちがこのハロの水を飲んでいるとのことだった。Haro D.K.は水が一杯になると4ヶ月使うことができ、この辺りにある飲用のハロとしては唯一の大きなハロであるいう。ハロについての意思決定はJarsa Ardasと呼ばれる長老たち(放牧地[レラ]単位)が行っている。そのハロが人の飲用か家畜用かを決めるのも、どのハロから工事に取り掛かるのかを決めるのもJarsa Ardasである。Olla D.K.には3人のJarsa Ardasがいる。

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ダス郡のHaro D.K.

 D.K.氏によると「メガで人々が耕作しているのを見て自分も始めようと思い、12年前からメイズやインゲンマメ、大麦を植えているが、すべて自家用で市場には出していない。メガの人たちからは牛耕も学んだ。兄弟がアディス・アベバにいて、果物や野菜、養蜂について教えてくれた。」という。また「果物や野菜の生産性については記録していないが、12年でずいぶん良くなっている。家畜だけでは生活できないので、耕作は重要だ。昔は肉やミルクが主食だったが、いまはメイズとインゲンマメが主食になっている。耕作をしないで、一体どうやって子どもたちに食べさせることができるだろうか。耕作をすれば自分で食べることができるので食料のために家畜を売る必要がない。そうすれば家畜を太らせて高く売ることもできる。」

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コーヒーの苗木

 村の普及員(DA)も「この村の人たちはみな耕作を始めている。耕作しなければ食べて行くのは難しい。だから農業普及は既に耕作している地域よりも、耕作を始めたばかりの地域でより重要だと思う。畜産に悪影響を与えるようなことはしないという条件は付くが…」という。

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ダス郡のHaro D.K.

ヤベロ郡でのコミュニティ・ベースの活動

 ヤベロ郡のHidialle村では、4つのオラから10人ずつが週3回参加して、Haro Hidi Dikoの掘削を次週から始める予定とのことだった。Haro Hidi Dikoは人の飲用のためのハロで、2つのゾニ(1つの村が3つのゾニからなっている)SitachowとHidi Dikoの人たちが使っている。Haro Hidi Dikoは当初から村人たちだけで作った古いため池で、NGOなどの支援の対象となったことはない。協働についてはゾニのリーダーであるW.T.氏が責任を持っている。また集落(オラまたはガレ)で音頭を取るのはガレのリーダーたちの役目である。3年前にガレが導入されるまでは、アバ・オラ(オラの長)の役目だった。Haro Hidi Dikoは人用のハロなのでアバ・ヘレガ(水の管理人)は配置されていないが、見張りが1人いて、24時間体制で動物が敷地に入らないようにしている。見張りはレラで雇用していて、各世帯は月5ブル(約18円)、合計300ブル(約1,080円)を見張りに支払っている。もう一つのHaro Boraは家畜用で、こちらはSitachow用である。こちらの掘削はSitachowゾニに属する4つのオラで協働することになっている。

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ヤベロ郡Hidialle村のHaro Hidi Diko

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ヤベロ郡Hidialle村のHaro Hidi Dikoにて

 Obda村のHaro Nyaroは2009年に国のセーフティーネット・プログラム(PSNP)によって作られ、去年(2012年)にAFD(ボレナ県で積極的に活動しているNGO)によって掘削されたが、今年はコミュニティ自身で掘削する予定である。Haro Nyaroは人と家畜共用のハロで5つのオラが使っているが、うち2つは遠方のため工事に参加するのは3つのオラの予定である。残りの2つのオラは人の飲用であるHaro Arero Doyoの工事をする予定になっている。

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ヤベロ郡Obda村のHaro Nyaro

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ヤベロ郡Obda村のHaro Nyaro

 Areri村のChana Dikaレラでは毎年乾季になると協働してハロの掘削を行っているが、今年は政府の流域管理プログラムの活動があったために遅れており、近々始める予定になっている。Haro Guracha Goleは最初に作った時からずっと村人たちだけで掘削して来ており、NGOなどの支援を受けたことはない。工事には3つのオラが参加することになっているが、使っているのは5つのオラである。運営管理という意味では、他の家畜用の2つのハロと共に、レラに所属するすべてのオラが責任を負っている。また水を汲みに来る人は、水を汲む度にハロを補修する義務を負っており、それに従わない人は水を汲むことができない。

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ヤベロ郡Areri村のHaro Guracha Gole

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ヤベロ郡Areri村のHaro Guracha Goleについて説明するアバ・オラ

とても上手く行っているように見えるが…

 このように3つの村で協働が順調に進んでいること、あるいは始めようとしていること、そして工具がオラあるいはガレ単位で適切に管理されていることが確認できた。CFWやFFWでお金や食料を配らなければ村人たちは働かないというのは誤った認識だったとわかったのでホッとした。けれども1つ気がかりなこともあった。RREPでは計画された工事に参加する集落・世帯数から必要な工具を概算して配布していたのだが、実際の協働作業は「当初の計画」とはほとんど関係なく、あのハロの工事にもこのハロの工事にも、カロ(柵で囲んだ牧草地)の灌木伐採にも、道路工事にも、そして農業にも使われていた。これはどうしたことだろうか。一部の人が工具を独占して使っている、勝手に使っているということはないのだろうか。その後のモニタリングでは、そこがどうなっているのかを何とか理解しようとすることになる。




(12) コミュニティが自前で実施する活動を支援していくアプローチ

「キックオフ」ワークショップ

 ボレナ県でコミュニティ・ベースのパイロット事業を開始するに当たって、2012年12月4日(火)から7日(金)までの4日間、「キックオフ」ワークショップを開催した。オロミア州の畜産委員会から1人、ボレナ県の畜産開発事務所から3人、コミュニティ・ベースのパイロット事業を最初に実施(1年目)することになったマルカ・ソーダ郡、ヤベロ郡、アレロ郡、ダス郡の畜産開発事務所から3人ずつ計12人、そしてコミュニティ・ベースのパイロット事業に直接関わったり、モニタリング・評価をしたりする普及員(DA = Development Agents)が4郡の中のそれぞれ4村から3人ずつ(村には3人の普及員が配置されているため)で計48人、そしてチームから日本人が2人、エチオピア人が6人参加した。

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成功事例のスタディ・ツアー(流域管理)

 このワークショップでは当プロジェクト(RREP)の基本方針やこれまでの調査・分析の結果を共有し、さらにRREPで協力して行くコミュニティ・ベースのパイロット事業をどう見つけるか、どう実施するかについて合意を作って行った。これまでの郡・村・コミュニティ・レベルのワークショップではどのようなプロジェクトや活動が現在進行中であるかについて議論しており、またこれまでの聞き取り情報などもあったので、コミュニティ・ベースのプロジェクトや活動には井戸・ため池などの水に関するもの、牧草地の管理に関するもの、道路や橋などがあること、そしてプロジェクトや活動の種類によって主体が集落(オラまたはガレ)単独だったり、複数の集落だったり、また牧草地(レラ)単位だったり、ゴサと呼ばれるクラン単位だったりすること、したがって意思決定するのも集落の長(アバ・オラなど)や長老だったり、レラの長老だったり、ゴサの長老だったりすることがわかっていた。

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成功事例のスタディ・ツアー(篤農家)

 そこで、コミュニティ・ベースのパイロット事業の選定に当たり、各行政村(エチオピアでは一般にケベレと呼ばれるが、牧畜地域ではPA [Pastoralist Association]、村長はPA Chairmanと呼ばれる)を単位として、それぞれの村の開発委員会(村長、PAマネージャと呼ばれる村の行政官、村の長老、村に3つあるゾーニの長、普及員、小学校の先生などがメンバー)で優先的なプロジェクトを提案して貰うものの、それぞれのプロジェクトの対象範囲は村の一部でも村全体でも、複数の村にまたがったり、またクランをベースとするものでもよいということになった。

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成功事例のスタディ・ツアー(ため池)

 ここで一番議論になったのはRREPで村の人たちに「賃金」を払うべきかどうかということであった。ボレナ県で実施されている他の国際機関(世銀、UNDPなど)、NGO(World VisionSave the Childrenなど)のコミュニティ・ベースのプロジェクトはすべて現金給付プログラム(CFW: Cash for Work)か食糧給付プログラム(FFW: Food for Work)であり、実質的に「賃金」が支払われている。その中でRREPが「賃金」を仕払わないで活動を推進しようというのは挑戦的な取組であるというような意見も多く出た。

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成功事例のスタディ・ツアー(集合写真)

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「キックオフ」ワークショップ風景

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「キックオフ」ワークショップ風景

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「キックオフ」ワークショップ風景

RREPの団内会議

 12月7日(金)の午後、「キックオフ」」ワークショップが終わった後、RREPの団内会議を行った。最大の議題は、RREPで協力して行くパイロット事業に現金給付(CFW)あるいは食糧給付(FFW)を用いるかどうかという点であった。ボレナ県でミュニティの活動(特に土木工事)に「賃金」を支払わない国際機関、NGOはない中で、RREPは敢えてそれに挑戦するのかどうか、団内でも意見が割れていた。高地から来た団員(元畜産研究所の研究員や県の職員だった人たち)は「賃金」を支払わないで村の人たちが作業をしてくれるはずがないという意見だったのに対して、私と一緒に村を回ってくれていたボレナ出身でボレナ語を話す団員は、ボレナの人たちは伝統的な共同体でずっと協働して来たので、必ずやってくれるという意見であった。最終的には会議の議長だったRREPの副総括が「コミュニティが自前で実施する活動を支援していくアプローチを取る」、すなわち現金給付(CFW)も食糧給付(FFW)も行わないという決断を下した。

 私自身、上手く行くであろうとは思っていたが、上手く行かない集落・村も一部出て来ることは覚悟していた。またボレナ出身の団員の数が少なく、かつ他の団員よりも若い中で、正直なところ副総括がそのような決断を下してくれるとは思っていなかった。

 団員のほとんどは「参加型」という言葉を知っていても、参加のレベル、あるいは活動の主体ということについては聞いたことも考えたこともない人たちだったので、12月12日(水)、私が3ヶ月間帰国するに当たって次のようなメモ(元は英文)を残した。

  1. 金曜日の結論を私は想定していなかった。それは基本方針そのものの変更(あるいは決定)を意味するからだ。つまり戦略・戦術すべてが変わることになる。これまでの村や県レベルのワークショップは、そのような基本方針を前提としてはやって来なかったし、そのような説明もして来ていないので、これから丁寧に説明する必要がある。
  2. これは本当の「参加型開発」(それが持続可能かどうかに直結する)ができるかどうかという大事な決断だと思う。参加型開発の信奉者として上手く行くと信じているが、正直なところ本当に驚いた。こうなるとパイロット事業でどのような分野のプロジェクトや活動を行って行くかは大きな問題ではなく、それらのプロジェクトや活動がどのような形で実施されるかが問題になる。
  3. コミュニティ・ベースの活動において「誰が中心になるのか」「誰が意思決定するのか」が金曜日の結論で完全に変わった。我々のプロジェクト、我々の活動にコミュニティの人たちが参加してくれるのを求めるのではない。もしそうならば、一番簡単なのは現金給付(CFW)や食糧給付(FFW)をすることだ。そうすれば、人々は間違いなく作業をしてくれるだろう。けれどもそれはしないと決まった。
  4. プロジェクトや活動が我々のものではなく、人々のものであるとすれば話はまったく変わって来る。我々のプロジェクトや活動に人々が参加してくれるのではなく、コミュニティの人たちのプロジェクトや活動に我々から参加するということになる。
  5. そうするとどのようなプロジェクト、どのような活動にRREPが関わって行くのかも大きく変わって来る。彼らが必要としている、これからやりたいと考えているプロジェクトや活動というよりも、むしろ彼らがいまやっている、あるいはいままさにやろうとしているプロジェクトや活動が重要になる。これまでの参加型ワークショップでは地域計画の枠組みの中で、将来どのような方向に開発を進めるのか、そのために必要なプロジェクトや活動は何かという形で組み立てて来ているが、これからはいま行っているプロジェクトや活動を明らかにする必要がある。
  6. 普及員(DA)や地元のリーダーたちとの対話を通じて、いま実際に行われている、あるいはまさに行われようとしているプロジェクトや活動が何かを明らかにすると同時に、それらが集落単位なのか、グループ単位なのか、レラ単位なのか、村単位なのか、クラン単位なのか…を確認する。その上で、人々のプロジェクトや活動で何がネックになっているか、それが工具なのか、材料なのか、技術的な支援なのか…を普及員やPAマネージャ(各村に1人いる行政官)に査定して貰う。

 そうやって集めた資料を元に、第一年次に16村で実施するパイロット事業・活動を確定し、活動の大きさや主体となって活動する人々の世帯数に応じて工具の数、材料の量を算定、技術的な支援のやり方を決めて、2013年の1月から順次工具や材料の配布に入った。

(11) コミュニティでのパイロット事業実施に当たって考えたこと

水源・牧草地の開発について考えたこと

  1. 伝統的な水・牧草の管理システムでは、群れを分割して雨季のマザー・キャンプと乾季のサテライト・キャンプの間を往復すること、複数のサテライト・キャンプの中からその年、その時点での最善の選択をすること、干ばつが厳しくなったときには二段構え、三段構えでより遠くへ移動すること、余裕があるときにできることをしておくこと、社会的な関係に頼ることなどを組み合わせて、地域全体の水と牧草の利用の微妙なバランスを取って来たように見える。それが伝統的な水・牧草管理の基本方針であることを踏まえて、ここに大きな変化を起こさないようにすることが重要である。
  2. ただし乾季の飲料水がないために群れを分割して乳牛や子牛だけマザー・キャンプに残すこともできず、村中が移動せざるを得ないような場合には、人が通年使えるような水源を開発することが最優先の課題となると考えられる。
  3. トゥラ(伝統的な井戸群)がある地区では、乾季に他地域から来た牛たちが集中するため、既に過放牧となっていることが多い。このような地区で水源あるいは水量を増やすことは過放牧をさらに進める可能性があるので、むしろ牧草地の開発やゼロ・グレージングの推進を優先すべきであろう。
  4. トゥラのある地区で水源・牧草地の開発プロジェクトを実施する場合には、通常の乾季さらには干ばつ時の利用者のことを考えて水量や牧草のキャパシティを考える必要がある。FAOの調査(Ella / Borena Well Mapping Report [February 2012])では、周辺の村(PA)の家畜の数と人口だけを基本にしているようなので、キャパシティに関する情報をさらに入手する必要がある。
  5. 乾季のサテライト・キャンプの水源開発の優先度は高い。現状ではサテライト・キャンプとエラ、トゥラとの間を往復しているケースが多いため、ここに水源があれば移動がかなり楽になると考えられる。
  6. 遠隔地からトゥラへの移動には1週間あるいはそれ以上掛かることがある。その途中にあるエラやハロの数あるいは水量を増やすことができれば、3日に一度ギリギリで水を飲ませるのではなく、余裕を持って2日に一度、あるいは毎日水を飲ませることができれば体力を消耗しないで済む。そこに牧草があればなおよいであろう。

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    牛の移動パターンから考えて特に重要なハロ
  7. 水源や牧草地の開発が地域全体の水と牧草の利用のバランスに与えるインパク について単純に予測することは難しい。Haro Dambiの例に見るように水源ができた翌年の乾季には家畜が過大に集中して過放牧になったとしても、利用者はそこから学んで、その次の年には他の選択をする人たちが出て来ると考えられる。つまり安定するにはある程度の時間が掛かって当然な訳で、短期的に評価はできない。ただし安定する方向にあることを確認すること、逆に言えばシステムとして破綻しないようにしなければならないことは当然であろう。

農業技術の普及について考えたこと

  1. 当初の踏査ではボレナの人たちが牧畜民であることに捉われ過ぎて、ボレナの人たちにとっての耕作の位置づけを極めて低いものと考えていたが、聞き取りなどを通じて牧畜よりも耕作により多くの比重を掛けている農牧民が既にたくさんいることがわかった。自家消費のためのメイズやインゲンマメの生産は、特に伝統的な地域(例えばガダ・システムの総会が開かれるダス郡Gayo村、あるいはテルテレ郡やディロ郡のケニア国境に近い地域)を除けば、既にどこでも始まっている。したがって牧畜民が農業に関心を持ち耕作を始めるということよりも、むしろ既に農業は始めたけれどもまだ農牧民初心者であるというような人たちを主なターゲットと考えてよいであろう。
  2. 条播は労力ばかり掛かるので広い面積には向かないと考えられていること、生産性を上げるよりも面積を広くして生産量を増やすことを志向していること、放牧もしている場合がほとんどなので播種の時期に忙しいことなどから、野菜などを導入するのではなく、現在のメイズとインゲンマメの混作のままで、条播が本当に優位であると言えるのかどうかは、慎重に検討する必要がある。
  3. 耕作に関する研修は頻繁に行われているものの、住民からは理論ばかりで実践を伴っていない、例えば条播やコンポストと言っても実際にどんなものかがまったくわからないというようなコメントが多く聞かれた。研修を実践的なものにすることが最優先課題であろう。
  4. 高地から来た人たちがこれまでも篤農家として位置づけられ、農業はそこから見よう見まねで普及して来たという歴史がある。農業技術の普及において、今後もそれを活用しないという手はないであろう。
  5. 農地と牧草地との競合だけではなく農業適地を巡る競合も既に起きており、またシェア・クロッピングや農地の貸し借りも行われていることから、長期的な土地利用の方向性について慎重に考えながら農業技術の普及を考える必要がある。
  6. 聞き取りからは、若者たちの農業離れ、都会志向の強さが伺われる。農業をより魅力的なものにして行くことについて考えるとともに、広めていく必要がある。
  7. ほとんどの普及員が若い人たちであることから、それを機会と捉え、普及員の人的資源開発を中心に据えた農業技術の普及が期待される。

資源の管理・利用の仕方

  1. サテライト・キャンプ(乾季用の牧草地)への移動はボレナ・ゾーンの中央部ではMona(夜に牛を入れる囲い)単位、環境のより厳しい周辺部ではオラ(Olla=自然集落)単位で行っており、耕作もオラ単位で始めていることがわかった。その場合、意思決定はアバ・オラ(Abba Olla=集落の長。最初にその場所に住んだ人がなるのが通例)、ジャルサ・オラ(Jalsa Olla=集落内部のことを司る長老数名)が中心になって行っている。
  2. 共有の牧草地であるレラ(Rera)の管理については、レラ内の各オラに居住するゴサ(Gosa=クラン)を代表するジャルサ・ゴサ(Jarsa Gosa)またはジャルサ・ドゥガ(Jarsa Dhuga)と呼ばれる長老たちとアバ・オラが集まって行われるコナ・デガ(kona dheda)という会議で意思決定される。ここで決められるのは雨季にどこの牧草地で放牧するか、乾季のためにどの牧草地を取っておくか(Kaloというエリア・エンクロージャ)、エラ(Ella=乾季用の伝統的井戸)のある地域で外部からたくさんの牛が水を飲みに来る場合には、過放牧にならないようレラの中でどう割り振るか、あるいは複数のレラの間でどう割り振るかなどである。
  3. エラの管理に関して、「(9) 牛の移動パターン」に間違いがあった。「ゴサを代表する長老はジョルサ・ゴサ(Jorsa Gosa)と書いたが、Jorsa Gosaは上述のレラの管理に関して各オラに居住しているゴサを代表するだけで、ゴサそのものを代表する訳ではない。地域全体のゴサを代表するのはジャルサ・クエ(Jarsa Qe’e)と呼ばれる長老とその下でゴサに動員を掛けるのがジャラバ(Jalaba)と呼ばれる長老である。さらに複数のゴサで会議を持つときに各ゴサを代表するハユ(Hayu)という長老が存在する。エラの所有者は基本的にゴサ(クラン)であるが、コンフィ(konfi family=個人の所有者)のままのこともある。いずれの場合も3人のアバ・ヘレガ(Abba Herega=水の管理人)が任命され、水の管理を行う。
  4. 以上のように、耕作や乾季の移動などオラの中のことはオラ・レベルのリーダーであるアバ・オラやジャルサ・オラが主体となって意思決定するのに対して、共有の牧草地であるレラの管理についてはレラ内の各オラに居住するゴサを代表するジャルサ・ゴサ/ジャルサ・ドゥガが、エラの管理についてはジャラバが集まるという形で意思決定している。

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    ボレナ県における伝統的な水・牧草の管理システム

エラの補修のやり方

 コミュニティによるエラの補修の具体的なやり方についていくつかの事例を紹介したい。

  1. ヤベロ・ワレダElla Areriの場合:アバ・ヘレガが自分のゴサと関係するその他のゴサに声を掛けて、エラ修復(AFDというNGOがコンクリートを使って整備したが、それがひび割れて水が漏れている。7つの水飲み場のうち2つが使用できない状態)の必要性について議論、二度目の会合ではゴサとして8万ブルを集めることを決定、8万ブルを各レラ、さらに各レラの中の各オラに割り振り、さらに所有する牛の頭数に合わせてオラの中のモナ別の負担額を決定した。以前はブア(bu’a=オラの中の複数(通常2~3)のモナで一つのブア)単位で計算していたが、今回は金額も大きいのでモラから直接徴収した方がわかりやすいということになった。それぞれのオラに一人ずついるジャルサ・ドゥラが責任を持ってお金を集めることになっており、既に70%は集まっている。前回の補修でコンクリートの建造物になっているため、これまでのように自分たちで補修したり砂を出したりという訳にはいかず、プロを送ってくれるNGOを探しているとのこと。

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    ヤベロ郡にあるElla Areri
  2. ヤベロ・ワレダElla Dikaleの場合:3ヶ月前にコミュニティだけで補修をしている。他のハロ(ため池)はNPOの協力で補修しているが、Ella DikaleはNPOの支援を受けていない。アバ・ヘレガの提案によりゴサの長老のQu’eと呼ばれる会議が開かれ、アバ・エラのゴサと関係するその他のゴサの代表(ジャラバ)が集まって、工事に何人必要か、またお金がどの位必要か(4千ブル)を議論し決定した。4千ブルをブア(放牧したり水を飲ませたりを一緒にするグループ。通常2~3モナで一つのブアになる)毎に分担することになり、牛の数によって金額を決めた(聞き取りをした人のブアは210ブル負担)。村(PA)の中でElla Dikaleを使っているのはブアが25位あるため、平均ではブア当たり150ブル程度となる。お金はジャラバが集め、必要な食料や資材はアバ・ヘレガが買いに行った。通常の補修であれば近隣のPAに居住するゴサだけで費用を分担し工事を行うがトゥラ(巨大なエラ群)の工事の場合は遠方に居住するゴサの協力も必要になる。
  3. ディレ・ワレダElla Fikaduの場合:2002年にコミュニティによって補修されている。その際、まずアバ・ヘレガがアバ・エラであるゴサの長老たちに召集を掛けて、補修が必要かどうかの議論を行い、補修を行うという決定をした後、二度目の会合で1万5千ブル集めることを決定した。その1万5千ブルをまずレラ単位、ついでオラ単位、モナ単位に分けて分担金を決めた。お金はジャルサ・ドゥガが集めた。工事には35人が参加して2ヵ月半掛かった。1万5千ブルは工事の食費で、メイズなどを買って来て料理するのが基本だったが、メイズが手に入らず、現金(1日10ブル)で支給したこともあった。二度目の補修は2011年にSORDUというNGOによって行われた。工事には100人が50日間参加し、300ブル/15日が支払われた。村の畜産開発事務所(PDO)とNGOが調査して工事の内容、金額などを決めたもので、コミュニティから補修を依頼した訳ではなく、コミュニティで会議も開いていない。
  4. ダス郡のElla Dambichaの場合:2008年にコミュニティで補修を行った。問題に気づいたアバ・ヘレガの1人がまずコンフィに報告、ジャルサ・クエが会議を招集した。実際に動員を掛けたのはジャラバ、集まって来たのは各オラを代表するジャルサ・ドガである。会議にはハユも参加し、会議の開会を宣言した。その会議の結果4万ブルを募ることになり、所有する牛の数によって負担額を決定した。負担金は最大で2千ブル/人、最小で50ブル/人だった。お金はジャラバが集金し、工事中の昼食のメイズ代、道具代などに使った。工事には35世帯が参加した。また工事を開始する際、コンフィ(そのエラやハロを作った人あるいはその子孫)が1頭、次いで3人のアバ・ヘレガがそれぞれ1頭の計4頭の牛を屠殺した。

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    ダス郡にあるElla Dambicha
  5. ダス・ワレダElla Dima Balbalaの場合:コンフィの発案で2009年に補修をしている。このエラはKarayuというクラン(ゴサ)の所有であるため、Karayuの長老が会議を開催し、Karayu及びその他のクランの利用者から3万ブル集めることに決まった。各自の負担額は牛の保有数によることとし、多数の牛を保有する人は350~500ブル、少ない人は30~50ブルとなった。負担金はオラ(自然集落)毎にジャルサ・ドゥガが集めた。また工事に参加するのは36世帯、世帯当たり2人、週3日ということになった。20日間程度工事した後で予算を見直したところ不足することがわかったため追加で1万5千ブル集めた。しかしそれでも工事が終わらなかったので、ジャルサ・ゴサが牛に水を飲ませる日に利用者が工事することと決めたが、洪水のためにエラが埋まってしまいそのまま使われなくなっている。

エラの位置とクランの関係

 国際連合食糧農業機関(FAO)の”Ella / Borena Well Mapping Report (February 2012)”では対象4郡で240余りのエラの調査を行っており、アバ・エラであるクラン(ゴサ)も一覧になっている。そこで各クランがどのくらいの数のエラを所有しているかについて一覧にしてみた。一番数が多いのはSabboクランのKarayuクランの69、次いで同じく外婚半族SabboのDigeluクランが32、外婚半族GoonaのAwatuクランが32となっている。クラン別のエラの分布から特に明確な傾向は見られないが、外婚半族SabboのKarayu、Digelu、Metariクランがディレ郡、ダス郡の中央部に多数のエラを所有しているのに対して外婚半族GoonaのAwatuクランは西の外れのヤベロ郡Areri村、東の外れのアレロ郡Wachore村に比較的多くのエラを所有していることがわかる。

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ボランのクラン(ゴサ)別のエラの数

乾季にエラに集まる牛たちの数

 上述のFAOのレポートではそれぞれのエラの利用者としてエラ周辺在住の世帯数と家畜の数をあげており、世帯数で最大600、家畜数で最大5,200となっている。しかしながら乾季、特に干ばつ時にはこれをかなり上回る家畜が遠方から集まっていると考えられる。そこで乾季また干ばつ時にどの程度の家畜が集まっているかについて、いくつかのエラで聞き取り調査を行った。その結果を下図に示す。

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エラを利用する牛の数

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ディレ郡Dubluk村に33あるというエラの一つ

(10) 耕作の普及

家畜と穀物

 県レベルの参加型分析ワークショップの結果((2)ボレナ県の概況と県レベルのワークシップボレナ県の郡別の現況分析参照)を見ると、ボレナ県の13郡のうち高地の3郡(1. アバヤ、2. ガレナ、3. ブレ・オラ)では食糧の需給が5段階評価で3(平均的)であり、高地と低地の中間的な位置にある1郡(4. ダグダ・ダワ)では2となっている以外、低地の10郡ではすべて最も厳しい評価の1である。一方、エスニック・グループ的に見ると、食糧の需給の問題が比較的少ない(評価が3または2)4郡はすべてグジが多数を占めている地域であり、低地の10郡では、4.ダグダ・ダワと5. マルカ・ソーダ(ともにグジが多数を占める)をのぞく8郡で、ボレナの人たち(=ボラン)が絶対的多数を占めている。つまり郡レベルで耕作が一定の比重を占めているのは、すべてボランのあまりいない地域ということになる。

 さらにボレナ県の郡別の優先課題を見ると、低地のテルテレ郡では23村のうち1-9と18-20の12村で穀物が最優先課題、10村で家畜、1郡(中心の町)で現金収入が最優先課題となっているが、このうち耕作が大きな比重を占めている12村のエスニック・グループを見ると、19.Jerarsa(テルテレ郡の中心23.Telteleのすぐ南の村)と9.Bule Korma(テルテレ郡の中心の少し西の村)をのぞく10村がコンソというエスニック・グループ(テルテレ県の北の南部諸民族州コンソ特別郡から来た人たち)の居住地域であることがわかる。

 さらにミヨ郡の中で耕作が重要な村を見てみると、7.Chari Turura村ではコンソが50%、14.Dokosu村ではシェワが20%を占めているほか、ヤベロ郡の中で比較的耕作が盛んな7.Obda村でもシェワが40%、2.Elwaye村でもシェワが10%、コンソが10%を占めている。このように耕作が積極的に行われている地域(=比較的耕作に適した地域でもある)はすべてハイランド系のエスニック・グループの居住地域であり、ボランの中で耕作中心の生活をしている人はかなり少ないことが想像される。(ただし上述のテルテレ郡では、ボラン中心の2村においても耕作が80%あるいは100%を占めるというボランの「農民」がいることを聞き取りで確認している。)

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ヤベロ郡Obda村の畑で。ハイランドから来たシェワの人が4割を占める

 なお、ボレナの3コミュニティにおける参加型ワークショップでの、約200人の参加者からの聞き取りでは、条播をしていると答えた人は2人(ともにヤベロ・ワレダで18歳男性と20歳女性)のみであった。テルテレ郡の畜産開発事務所での聞き取りでは、コンソの居住地域においても、段々畑は普及して来ているものの、条播はなかなか広まらないとのことであった。

耕作主体のエスニック・グループ

 上述のように、ボレナ県で古く(イタリア軍が駐留していた1936-40年頃)から農業をやっているのは、高地から来た耕作主体のエスニック・グループである。

  1. ボレナ県の北側のグジ県を母体とするグジの人たちはボレナ県のマルカ・ソーダ郡、ブレ・オラ郡、ドゥグダ・ダワ郡で絶対多数を占めている。
  2. ボレナ県の北西側には南部諸民族州があり、コンソの人たちはそこからテルテレ郡北部の、主に11の村に進出して来ている。
  3. 上述のグジとコンソの人たちのグループが本来のアイデンティティを維持したまま進出して来ているのに対して、グジ、コンソに加えてハイランドから来たシェワ、ブルジなどの人たちは、ボレナ県の低地の中でも比較的標高の高いところに移住して来て、ゴサ(ボランのクラン)の一員となり、ボランとしての義務を果たして同化している。これらの人たちが住むのはヤベロ郡の Elwaye村(シェワ10%, コンソ10%)、4. Obda 村(シェワ40%)、8. Yubdo村(ブルジ90%)、9. Gegna村(ブルジ95%, コンソ5%)、ディレ・郡の15. Dida Mega村(ブルジ80%)、ミヨ郡の1. Hidi村(ブルジ30%, シェワ20%)、7. Chari Turura村(コンソ50%, ブルジ10%)、14. Dhokosu 村(シェワ20%)など、丘陵地周辺の四ヶ所に集中している。郡での参加型ワークショップの現況分析の結果から、耕作が最優先分野となっている村と、これら農業主体のエスニック・グループの多い村とは、ほぼ一致することがわかっている。

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    ディレ郡15. Dida Mega村(ブルジの人たちが8割)の小麦畑

 耕作の普及の仕方

【高地から農業をやるために来た人たち】

  • テルテレ郡、ヤベロ郡、ディレ郡の相対的に標高が高い地域で、もともとコンソ、シェワ、ブルジだった人たちなどから話を聞いた結果、彼らの多くは70-80年くらい前あるいは四世代前に高地から来た人たちとその子孫であり、最初から農業の適地を探してボレナ県に来ていることがわかった。

【高地から来た人たちから見よう見まねで学んだ人たち】

  • 一方、北側のコンソ、グジと隣接する地域や、高地の人たちが多い四ヶ所の山(丘陵地)の周辺に住むボレナの人たちは、コンソ、グジ、ブルジなどの人たちが農業を実践しているのを見て、見よう見まねで農業を始めた人たちである。聞き取り調査の結果から見て、ボレナの人たちが最初に農業を始めたのは、恐らく20〜30年くらい前あるいは二世代前くらいのことだったのではないかと想定される。
  • 聞き取り調査の結果を個別に見てみると、テルテレ郡のボレナの人たちはコンソの人たちから、ディレ郡や、ダス郡の 5. Aanole村、12. Golile村の人たちは15. Dida Mega村のブルジの人たちから、アレロ郡の10. Fuldowa村、15. Webi村、16. Gada 村、ダス郡の6. Harjarte村の人たちはグジの人たちから、農業を学んでいる。

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    エスニック・グループの分布と耕作の普及

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アレロ郡10. Fuldowa村の畑
  • このように70年くらい前に高地の人たちが中心になって始まった農業が、20〜30年くらい前からボランの間でも拡がり始め、最近では環境の厳しい地域を除くボレナ県のほぼ全域に拡がって来ていることがわかる。

農地について

 新参者、特に高地から移住して来たばかりの人たちはなかなか土地が貰えないようで、やむを得ず農業労働者として働いたり、シェア・クロッピングをしたり、また土地を借りて耕作している人たちがいる。シェア・クロッピングの場合、借り手が1/3、地主が2/3というのが一般的なようであるが、1/4:3/4という例もあるし、また借り手の取り分は6ティマド(1ha)のうち2ティマド(1/3ha)分の収穫と固定した上で、実際にはもっと広い面積を耕作させられるという話もあった。また借地の場合の賃料は1ティマド(1/6ha)当たり100または200 ブル(約400円または800円)/年とのことであった。

耕作について

 現場を見て回った限りでは、ボレナ県の低地で実践されている農業は、エスニック・グループを問わず、ほぼ同じ形態のものである。

  1. まず散播(多くの場合メイズとインゲンマメの混作)を行って、後から二頭立ての雄牛を使って土地を耕起するケースがほとんどで、条播を実践している人は例外的である。たまにやったことがある人もいるが、牛がいなかったときに実践しただけで、牛を入手した場合、耕作面積が広くなった場合には、すぐに打ち切って散播に戻っていた。
  2. ここ2年くらいの間に普及員(DA)による正条植えと改良種子やコンポストなどの研修が頻繁に行われているが、住民からは理論だけで実践を伴ったものになっていないとのコメントが多かった。
  3. 県畜産開発事務所あるいは普及員が改良種子を配布する場合(ヤベロが中心)には改良種子が手に入るが、そうではない場合はヤベロやメガの町に行って種子を買ったり、使い回したりしている。
  4. 二頭立ての牛を使って、shalshaloと呼ばれる間引き兼草抜きを行うことが一般的である。このshalshaloは言わば無作為間引きであるため、せっかく大きく育った苗も間引きされてしまう。

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    Shalshalo、牛には大変な重労働
  5. 小雨季(Hagaya season)は耕作しない場合も多いが、翌年の大雨季(Ganna season)に向けて土を起こしておくと収量が上がり、生える草も少ないという認識があるため、多くの人が小雨季の最後から乾季の初めに掛けて耕起している。
  6. 一般的に生産性を上げるよりも、耕作面積を増やして生産量を増やすことを志向しているように見える。
  7. 単に労働量やコストの大きさだけではなく、季節性に対する意識がとても強いように見える。例えば雨季の初めは家畜のためのマザー・キャンプ周辺の牧草探しに忙しい時期でもあり、しかもサテライト・キャンプから長距離を移動して来たために家畜が弱っている時期でもあるので、この時期に耕作に時間を掛けることはできるだけ避けたいと考えているようである。
  8. 一方、雨季の最中は比較的時間に余裕があり、家畜の健康状態もよいことが多いので、この時期に雄牛を使って作業をすることを好むようである。

(9) 牛の移動パターン

 2012年の7月、8月の村での聞き取りを通じて、12月から3月頃に掛けての大乾期、特に干ばつの厳しい年に、牛の移動して行く先が主に南部諸民族州のコンソ特別郡(ワレダ)であることがわかってきた。また遠くへ移動する際には基本的にグループを組んでいるらしいこともわかってきた。

 そこで筆者が一時帰国した8月中旬以降、アシスタントに国境近くのテルテレ郡、ディロ郡などを回って牧畜民からの聞き取りをして貰い、雨季及び乾季の牛の動き(移動先)を村単位で地図に落としたのが下記の図である。

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ボレナ県における牛の移動パターン (2012年11月15日現在、聞き取りにより作成)

 オレンジ色は干ばつのときの牛の動き、黄色は通常の乾季の牛の動き、緑色は雨季の牛の動き、水色は家畜に水を飲ませるための動きを示している。また点線は10年以上前の動きであり、ソマリ州に近い地域では衝突により東のソマリ州の方向に行けなくなったため、移動先が西側に限定されるようになって来たことが想像される。また数字で示したのは移動に掛かる日数・時間であり、一般に4日間を越えるような移動の場合は、途中で伝統的な井戸エラまたはため池ハロで水を飲ませる必要がある。中央のヤベロ及びアレロ郡で黄色い線が多くなっているのはオラ単位ではなく牛を共通の囲いモナに入れている数家族の単位で移動しているためである。

 一方、ソマリ州・南部諸民族州に近いボラナ県の東側及び西側の地域では、移動先となる村の選択肢が少なく、かつ大きなグループ(オラ単位、さらに牧草地レラを共有する複数のオラが一緒にレラ単位)で動く傾向にある。その場合は先遣隊を派遣し、移動先の状況を確認した上で、長老たちが集まって意思決定する形態を取っている。

 またアレロ郡の14. Hallona村Midanuゾーニでは、乾季に村中が他の村に移動している。牛だけではなく人々の飲み水もなくなるためである。このようなコミュニティがどのくらいあるのかまだ把握できていないが、水資源の開発においては、このようなコミュニティでのハロあるいは井戸の整備が最優先となると考えられる。次いで多くのコミュニティから牛が集まっている地域(例えばアレロ郡の15. Webi村)にあるエラの整備、また多くの移動経路において中継点になっているようなエラあるいはハロの整備の優先度が高くなるであろう。

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県庁所在地ヤベロのすぐ西にある山間のエラ、Ella Areri(2012年7月10日)

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Ella Areriにはクラン別の水飲み場がある(2017年10月24日)

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ダス郡12. Gorile村にあるエラの回廊(2013年8月29日)

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ダス郡12. Gorile村にあるエラで水を汲む青年(2013年8月29日)

牛の移動から見たボレナ県の低地の地域区分

 以下、牛の移動パターンを整理してみる。各地で雨季・乾季の牛の動き方を聞いて回った結果、大干ばつ時には三つの地域に牛が集中することがわかった。

  1. 干ばつになるとボレナ県の東側の牛たちは、ヤベロ郡の Dikale 村、アレロ郡の15. Webi村、ダス郡の1. Borbor村のラインに集中する。このラインはトゥラ(tulla)と呼ばれる豊かなエラ群があるところで、ボレナの人たちの間ではドライ・バレーとも呼ばれ、低地ではここにだけ豊富な地下水が流れていることが知られている。
  2. 一方、干ばつ時にボレナ県の西側の牛たちは、豊かな水と牧草地のある、南部諸民族州の高地の方向に移動する。
  3. さらにボレナ県の中央部の牛たちの中には、大干ばつ時にボレナ県の高地側(ヤベロ郡やアレロ郡の最北部)に移動するグループがある。
  4. そのほか、過去には大干ばつ時にソマリ州に移動するグループがあったが、ボレナの人たちとガブラやガリの人たちとの衝突、またその結果としてボレナ県とソマリ州との間の境界が西に移動して来ていることにより、いまは行けなくなっている。

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ダス郡4. Gayo村のエラの入り口の前で順番を待っている牛たち(2013年9月4日)

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ダス郡4. Gayo村のエラで、順番が来て入り口に殺到する牛たち(2013年9月4日)

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ダス郡4. Gayo村のエラで歌を唄いながら水を汲む青年たち(2013年9月4日)

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ダス郡4. Gayo村のエラで歌を唄いながら水を汲む青年たち(2013年9月4日)

牛の移動の四つのパターン

 水と牧草は切り離せないと言われるが、やはり本来はそれぞれが別の要因であり、ボレナ県における牛の移動には四つの異なるパターンがあるように見える。

  1. 人の飲み水がなければ乾季は村ごと移動するしかない。アレロ郡の Hallona村MidanuゾーニのJatani Moruオラがこれに当たり、冬の乾季にはモナごとに移動するため、村がバラバラになる。
  2. 人の飲み水は確保できても牛の水がなければ、乾季は牛を水のあるところに移動させざるを得ない。(女性、子ども、乳牛、子牛などはオラに残る。)移動した先に牧草がなければ、移動先の水源と牧草のある場所との間を往復することになる。(干ばつ時にも十分な水があるアレロ郡の Webi 村に各地から集まってくる牛たちがこれに当たる。)
  3. あるいは牧草のあるところ(サテライト・キャンプ)へ移動して、そこから水源との間を往復することになる。(例えばダス郡の Garile村の人たちの中には乾季にミヨ郡の9.Dukale村の牧草地に移動し、そこからケニア側の大きなため池Haro Yasariに水を飲ませに行っている人たちがいる。)またミヨ郡の10. Melbana村には豊かなトゥラがあるにも関わらず、それほど牛が集まっていない。聞き取りによれば、これは農地に取られて牧草地が足りなくなっているからとのことである。農地に適したところは高地が多く、森林になっているため草地が少ないという特徴もある。遊牧する人たちは森に行くと牛が肥らないという言い方をしており、そのような際には木の枝を切って牛に与えることも行われる。
  4. 大干ばつで最後、どうにも牧草がなくなったときには、南部諸民族州かボレナ県北部の高地の方へ行く。

移動の際の単位

 ボレナ県中央部の水源・牧草地ともに比較的選択肢の多いところでは、移動する際に5世帯程度のモナ単位で行き先を決め、バラバラに移動する。オラを持たないグジの地域(ブレ・オラ郡、マルカ・ソーダ郡、ドゥグダ・ダワ郡)も同様である。

 これに対して、より環境の厳しいボレナ県の東側(アレロ郡の東端の1. Wachole村、ダス郡の東端の8. Gabri村、11. Irdar 村など)、あるいは西側(テルテレ郡の15. Salita 村、ディロ郡のケニア国境近くにある7. Harboki 村など)では自然集落であるオラ全体で一つになって移動する。これには移動日数が5日あるいはそれ以上と長く危険を伴うこと、選択肢が少ないことなどが関係しているものと考えられる。これらのオラでは経験の豊富な牧畜民を選んで斥候(haburu)として偵察に出し、その報告を待って長老たちがどこに行くかを決定するというプロセスを取っている。

水源の種類

  1. 干ばつ時にボレナ県の東側の牛たちが集中するのは、水量の豊富な伝統的井戸エラがいくつもまとまって存在するトゥラである。そこでは過去数十年に亘って水が枯れたことがない。また聞き取りによれば、トゥラは規模が大きいだけではなく、塩分濃度が高く家畜専用になっているものを指し、そうでない人間の飲用にも適する伝統的井戸をアダディ(adadi)・エラと呼んで区別している。トゥラで水を飲んだ家畜には塩をやる必要がほとんどないとのことである。
  2. 一方、通常雨季に使うため池はハロと呼ばれる。聞き取りによれば水が澄んでいるのがエラ、茶色く濁っているのがハロである。ハロの中にはこれまで一度しか水が枯れたことがなく、通年使えるHaro Bakeのような巨大なハロもある。
  3. その他、近年、政府、NGOなどの支援によってコンクリートやプラスチックの貯水タンク(cistern)、深井戸(motorized scheme)も各地にできてきている。

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県庁所在地ヤベロの北にあるHaro Bakeは通年使えるため池で、近くには大きな畜産市場がある(2012年11月7日)

伝統的な水源の管理

  1. アバ・エラ(Aba Ella):エラには通常アバ・エラと呼ばれる所有クラン(ゴサ)がいて、補修を含む水源の管理を行う。オラはクラン横断的で、アバ・オラの許可がありコミュニティの義務を果たせば、誰でも住むことができるため、アバ・エラであるゴサに属する人々も、あちこちのオラに居住していることになる。例えばテルテレ郡の Sarite村にはElla Oda、Ella Sarite、Ella Sukanaの三つのエラがあるが、アバ・エラはそれぞれHawatu、Hawatu、Karayuという異なるゴサであり、Hawatuは外婚半族Goonaのゴサ、Karayuは外婚半族Sabboのゴサである。ただしテルテレ郡の14. Harbate 村のように、アバ・エラがゴサではなく、二次クラン (mana)である場合もあるようである。またアレロ郡の15. Webi 村のように、水源を最初に見つけ、エラを作った人が所有者konfi familyとして振舞う場合もある。konfiは父から息子へと相続される。
  2. それぞれのゴサを代表する長老はジョルサ・ゴサ(Jorsa Gosa)と呼ばれ、そのジョルサ・ゴサが実際に水を管理する3人のアバ・ヘレガ(Abba Herega)を任命する。ただし上述のようにkonfi familyがいる場合は、konfiがアバ・ヘレガを任命する。その他にもkonfiは水量が足りなくなって来たときに最優先で牛に水を飲ませることができるという特典がある。干ばつのときに遠くから水を飲ませに来る人たちが、お礼にkonfiに牛を手渡すということもあったが、それは10年、20年前までの話のようである。また Webi PAの例のように、エラのkonfiが誰であるかを巡って家同士が対立していることもある。

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    ダス郡4. Gayo村のエラの3人のアバ・へレガ(水の管理人)の1人(2013年9月4日)
  3. アバ・ヘレガの仕事としては次のようなものがある。1) 補修工事などが必要になったときにはアバ・ヘレガがゴサ全体に声を掛けて会議を開く。この場合、実際に水を使っているかどうかに関わらず、ゴサ全体が対象となる。2) エラに土砂などが溜まった場合はアバ・ヘレガがゴサ全体に声を掛けて会議を開き作業に動員する。3) 利用者が水を飲む日にち(通常3日に一度)、順番(例えば二次クラン(mana)による[1])などを決め、監督指導する。4) エラやため池の周りに木を植える作業に動員する。5) 複数のエラやため池がある場合には、エラやため池を使う順番を決める。6) エラの水量が減って来た場合は利用を制限し、周辺の他のエラに振り分ける。他のエラのアバ・ヘレガと交渉して許可を得る。
  4. エラには一般に次のような不文律がある。 1) 雨季にはエラは閉鎖され、家畜が水を飲むことは禁じられる。2) アバ・エラ(通常はゴサ)はMuka Cirachuと呼ばれるエラ開きの儀式を行う。牛はその儀式が終わってから水を飲むことが許される。3) 牛が水を飲めるのは3日に一度(余裕がある場合は2日に一度)だけで、飲む順番はアバ・ヘレガが決める。4) 土砂を取り除く作業が必要になったときにはアバ・エラ(あるいはkonfi)、次いでアバ・ヘレガが牛を提供してみなに振舞う。5) アバ・エラのゴサに属しているかどうかに関わらず、エラを利用する人は全員この不文律に従わなければならない。6) 水量が減って来た場合は、乳を出している牛以外すべてサテライト・キャンプに送らなければならない。アバ・エラのリーダーが率先してこれを行い、他の利用者が続く。7) アバ・エラ(の長老)とアバ・ヘレガ以外はエラの周りの木を切ってはいけない。これに違反した者は最大10頭の牛を没収される。8) 作業が大掛かりになる場合は、ジョルサ・ゴサが必要な牛及びお金を算定し、各オラの長老ジョルサ・ドゥガ(Jorsa Dhuga)を通じて徴収する。9) エラの建設あるいは補修などの作業に参加しなかった者はそのエラだけではなくボレナ・ゾーンのすべてのエラを使うことができない。10) エラの使用を巡って争いを引き起こした者は他人の妻を奪ったのと同等の罪を犯したとみなされ、牛一頭を課される。11) 牛に水を飲ませている最中にエラの壁が崩れた場合は、持ち主は直ちに牛一頭を食事に提供し、みなで補修作業に入らなければならない。

[1] 通常、水を飲む順番が決まっているのはトゥラ、エラと呼ばれる家畜用の井戸群だけで、人も飲めるアダディ・エラや、ハロは早く来た順となる。トゥラで最初に水が飲めるのはカラ(qara)と呼ばれるアバ・エラ(通常ゴサ)の長老である。次はアバ・ヘレガ、それからアバ・エラであるゴサの人、その他のゴサの人、そして最後は早く来た順となる。

伝統的な牧草地の管理

 Jarso Doyo (2011). Indigenous Practices of Rangeland management: Constraints and Prospects in Borena Pastoralists of Southern Ethiopia, Oromia Regional State(アジスアベバ大学大学院修士論文)によれば、ボレナ県の牧畜民が伝統的に取って来た方法としては次のものがある。

  1. 雨季の早朝に露のついた草を牛に食べさせるwaareeという方法: 朝4時半に牧草地に連れて行き8時には戻って来る。搾乳はそれから行う。1時間ないし1時間半休ませたのちに、通常の放牧に行く。ボレナの人々は露がついた草を食べると肥った牛になると考えている。
  2. 群れの分割という方法: 乳牛、子牛と雄牛2頭からなるLoon Haawichaaは、マザー・キャンプと呼ばれる雨季の牧草地に、乾季も残って過ごす牛たちの定住グループである。もう一つのLoon Fooraaはサテライト・キャンプ(fooraa)に移動するその他の多くの牛たちの移動グループである。移動の前に、牛飼いたちは特定の水場のアバ・ヘレガの許可を予め取っておく必要がある。牧草よりも水を得られるかどうかがまずは制限要因になるのである。また牧草地には豊かな牧草があると同時に、いざ部族衝突が起こったときに退却しやすい場所であることも重要になる。このように群れを分割し、マザー・キャンプ周辺の水・牧草と複数のサテライト・キャンプの水・牧草とのバランスを取ることで、乾季の水不足・牧草不足のリスクを分散していることになる。
  3. 群れの分割の変形として、干ばつが厳しくなったときに、群れの一部を親戚あるいは親しい友人のところに預けるという方法がある。自然資源のリスクを回避するために、社会的な関係が用いられるのである。その上にさらに水・牧草の状況が厳しくなれば、村中が新しい場所に移動するという方法を取ることになる。
  4. 干し草の利用も伝統的に行われて来た。雨季あるいは乾季の初めに家の周りの草を刈り取っておくのである。乾燥が進むと栄養価が落ちてしまうため時間管理が難しいが、刈り取りと干し草作りは主に女性の仕事である。この干し草は共有牧草地に行くことのできない病気の牛や子牛のために、特に重要である。干し草はまた牛が水場に来る日(obaaと呼ばれる)のための飼料でもある。刈り取りが行われるのはそのために取ってあるkaloと呼ばれる囲まれた場所、農地の周囲、また地形的に家畜が行きにくい場所などであることが多い

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エリア・エンクロージャ(kalo)の例(ディロ郡Liso村、2012年11月26日)

 上述の修士論文の中に、Haro Dambiが2010年の4月の洪水で使えなくなった後の負の影響に関する記述がある。ため池が使えなくなった後、乾季の飲料水用に地元の人たちが使っていた貯水タンクを家畜用にも使わざるを得なくなり、結果として貯水タンクの回りが過放牧になってしまったと言うのである。Haro Dambiは本プロジェクトが対象としているアレロ・ワレダのFuldowa村にあり、ワークショップや聞き取りを実施していたので、牧草地の管理について聞き取りからわかったことを以下に記述する。

  1. 他地域から牛が水を飲みに来る際には、一部の地区だけが過放牧にならないよう、レラの会議を開いてガレ別に牛の群れを割り振っている。この会議はkooraa dhedaと呼ばれ、各オラから2~3人の長老(ジョルサ・ドゥガ)が集まって、それぞれのガレで放牧される家畜の数をどれくらいの数にするかを議論する。またもう一つの議題は雨季(ganna season)用と乾季(bona season)用の牧草地を特定することである。そして会議の終わりに、長老たちは7人からなる委員会を設置する。この委員会は牧草の管理と同時に、ルール違反の容疑者を長老たちに引き渡す役目を担っている。
  2. トゥラがあり、乾季に他地域から多くの牛が来るような地区では、雨季にサテライト・キャンプに行って牧草を食べさせておくことが行われている。これはトゥラの近くの牧草地を乾季のために残しておくための戦略であると考えられる。

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アレロ郡Fuldowa村Haro Dambi(2013年3月20日

 



(8) ヤベロ郡とアレロ郡の村での参加型ワークショップ

コミュニティ・レベルの参加型ワークショップ

 2012年7月28日から10月8日に掛けて、5. マルカ・ソーダ郡、6. ヤベロ郡、7. アレロ郡、8. ダス郡の4郡16村で、コミュニティ・レベルの参加型ワークショップを実施した。ただし衝突が収まるまでヤベロ郡から出るのは危険という判断となったため、ヤベロ郡以外のコミュニティ・レベルの参加型ワークショップや聞き取り調査を1ヶ月以上中断・延期することになった。筆者も予定を変更し、8月中旬に一旦帰国した。

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アレロ郡Fuldowa村Dambiゾーニで(2012年10月10日)

ヤベロ郡Areri村Chana Dikaゾーニでの問題分析

 帰国直前の8月10日(金)-11日(土)に実施したヤベロ郡のAreri村Chana Dikaゾーニ(一つの村に3つ置かれているゾーニの一つ)における問題分析の結果は下記の通りであり、家畜のための牧草や飲水の不足の重要度が高くなった。

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ヤベロ郡Areri村Chana Dikaゾーニの問題分析結果(2012年8月10日)

 またワークショップに参加した83名のうち条播をしていると回答したのは2名だけで、散播が72名であった。女性の参加者は35名いたが、学校教育を受けた人は皆無であった。男性48名についても中学以上は5名、小学校が4名と予想外に低い数字であった。一方、農地の大きさが6ティマド(6timad = 1ha)を超えるのは83名中6名だけで、3ティマド(0.5ha)の15名が最も多く、以下6ティマド(1ha)が13名、1ティマドと2ティマドがそれぞれ11名などであった。牛の所有頭数は70名(約85%)までが5頭までで、うち最も多い23名が2頭を所有していた。

 状況が落ち着き、また村に入ることが可能になったため、9月26日(水)に再度エチオピア入りし、10月8日(月)にはボレナ県アレロ郡のHallona村Midanuゾーニ、10月10日(水)には同郡のFuldowa村Dambi ゾーニで参加型分析ワークショップを実施した。Midanuゾーニでは56名(うち女性28名)、Dambi ゾーニでは62名(うち女性18名)の住民の参加を得た。

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アレロ郡Hallona村Midanuゾーニでのワークショップ風景(2012年10月8日)

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アレロ郡Hallona村Midanuゾーニでのワークショップ風景(2012年10月8日)

アレロ郡Hallona村Midanuゾーニでの問題分析

 アレロ郡Hallona村のMidanuゾーニの問題分析では、「乾季に村をあげて移動しなければならないこと」が最重要課題とされた。Haro Midanu(ため池)が乾季には枯れてしまい、人々の飲み水がなくなるためである。家畜の移動は当然のことと考えている人たちも、女性・子どもの移動は何とかやめたいという。また二番目の重要課題として男性では「健康・保健」が、女性では「家畜がたくさん死ぬこと」があげられた。保健ポストのある村の中心までは歩いて4時間(病人を運ぶとなると6時間)掛かること、また村には伝統的産婆さんしかいないため出産関連の疾病が多いためとのことだった。

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アレロ郡Hallona村Midanuゾーニの問題分析結果

 家畜が死ぬことの原因としては「長距離移動しなければならないこと」が第一の原因としてあげられた。Midanuゾーニでは教育水準が驚くほど低く、ワークショップ参加者56名のうち正規教育を受けたことがあるのは僅か2名(中学校と小学校、ともに男性)のみで、54名はまったく学校に行ったことがなかった。読み書きができると答えたのは4人、読めるが書けないと答えたのが1人で、識字率も1割を切っていた。これは例えば1999年にケニア北部の半乾燥地バリンゴ県の村々で参加型ワークショップを行ったときの結果に比べても、遙かに低いものである。

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アレロ郡Hallona村Midanuゾーニでのワークショップ風景(2012年10月8日)

アレロ郡Fuldowa村Dambiゾーニでの問題分析

 アレロ郡Fuldowa村Dambiゾーニの問題分析では、最重要課題は男女とも「家畜がたくさん死ぬこと」、二番目は「健康・保健」、三番目が「穀物の収穫が少ないこと」であった。Midanu ゾーニでは「穀物」は女性でも5番目、男性では最下位であったことから、Dambiゾーニの方が耕作に対する意識が高いことがわかる。教育水準でも参加者62名のうち、高校以上が2人、中学が3人、小学校に行った人11人(ただし女性参加者18人では小学校1年が1人だけ、読めると答えたのもその1人だけ)、また識字率でも読み書きができる人が13人、読めるが書けない人が4人と2割は超えていた。

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アレロ郡Fuldowa村Dambiゾーニの問題分析結果

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アレロ郡Fuldowa村Dambiゾーニでのワークショップ風景(2012年10月10日)

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アレロ郡Fuldowa村Dambiゾーニでのワークショップ風景(2012年10月10日)