いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(12) コミュニティが自前で実施する活動を支援していくアプローチ

「キックオフ」ワークショップ

 ボレナ県でコミュニティ・ベースのパイロット事業を開始するに当たって、2012年12月4日(火)から7日(金)までの4日間、「キックオフ」ワークショップを開催した。オロミア州の畜産委員会から1人、ボレナ県の畜産開発事務所から3人、コミュニティ・ベースのパイロット事業を最初に実施(1年目)することになったマルカ・ソーダ郡、ヤベロ郡、アレロ郡、ダス郡の畜産開発事務所から3人ずつ計12人、そしてコミュニティ・ベースのパイロット事業に直接関わったり、モニタリング・評価をしたりする普及員(DA = Development Agents)が4郡の中のそれぞれ4村から3人ずつ(村には3人の普及員が配置されているため)で計48人、そしてチームから日本人が2人、エチオピア人が6人参加した。

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成功事例のスタディ・ツアー(流域管理)

 このワークショップでは当プロジェクト(RREP)の基本方針やこれまでの調査・分析の結果を共有し、さらにRREPで協力して行くコミュニティ・ベースのパイロット事業をどう見つけるか、どう実施するかについて合意を作って行った。これまでの郡・村・コミュニティ・レベルのワークショップではどのようなプロジェクトや活動が現在進行中であるかについて議論しており、またこれまでの聞き取り情報などもあったので、コミュニティ・ベースのプロジェクトや活動には井戸・ため池などの水に関するもの、牧草地の管理に関するもの、道路や橋などがあること、そしてプロジェクトや活動の種類によって主体が集落(オラまたはガレ)単独だったり、複数の集落だったり、また牧草地(レラ)単位だったり、ゴサと呼ばれるクラン単位だったりすること、したがって意思決定するのも集落の長(アバ・オラなど)や長老だったり、レラの長老だったり、ゴサの長老だったりすることがわかっていた。

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成功事例のスタディ・ツアー(篤農家)

 そこで、コミュニティ・ベースのパイロット事業の選定に当たり、各行政村(エチオピアでは一般にケベレと呼ばれるが、牧畜地域ではPA [Pastoralist Association]、村長はPA Chairmanと呼ばれる)を単位として、それぞれの村の開発委員会(村長、PAマネージャと呼ばれる村の行政官、村の長老、村に3つあるゾーニの長、普及員、小学校の先生などがメンバー)で優先的なプロジェクトを提案して貰うものの、それぞれのプロジェクトの対象範囲は村の一部でも村全体でも、複数の村にまたがったり、またクランをベースとするものでもよいということになった。

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成功事例のスタディ・ツアー(ため池)

 ここで一番議論になったのはRREPで村の人たちに「賃金」を払うべきかどうかということであった。ボレナ県で実施されている他の国際機関(世銀、UNDPなど)、NGO(World VisionSave the Childrenなど)のコミュニティ・ベースのプロジェクトはすべて現金給付プログラム(CFW: Cash for Work)か食糧給付プログラム(FFW: Food for Work)であり、実質的に「賃金」が支払われている。その中でRREPが「賃金」を仕払わないで活動を推進しようというのは挑戦的な取組であるというような意見も多く出た。

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成功事例のスタディ・ツアー(集合写真)

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「キックオフ」ワークショップ風景

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「キックオフ」ワークショップ風景

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「キックオフ」ワークショップ風景

RREPの団内会議

 12月7日(金)の午後、「キックオフ」」ワークショップが終わった後、RREPの団内会議を行った。最大の議題は、RREPで協力して行くパイロット事業に現金給付(CFW)あるいは食糧給付(FFW)を用いるかどうかという点であった。ボレナ県でミュニティの活動(特に土木工事)に「賃金」を支払わない国際機関、NGOはない中で、RREPは敢えてそれに挑戦するのかどうか、団内でも意見が割れていた。高地から来た団員(元畜産研究所の研究員や県の職員だった人たち)は「賃金」を支払わないで村の人たちが作業をしてくれるはずがないという意見だったのに対して、私と一緒に村を回ってくれていたボレナ出身でボレナ語を話す団員は、ボレナの人たちは伝統的な共同体でずっと協働して来たので、必ずやってくれるという意見であった。最終的には会議の議長だったRREPの副総括が「コミュニティが自前で実施する活動を支援していくアプローチを取る」、すなわち現金給付(CFW)も食糧給付(FFW)も行わないという決断を下した。

 私自身、上手く行くであろうとは思っていたが、上手く行かない集落・村も一部出て来ることは覚悟していた。またボレナ出身の団員の数が少なく、かつ他の団員よりも若い中で、正直なところ副総括がそのような決断を下してくれるとは思っていなかった。

 団員のほとんどは「参加型」という言葉を知っていても、参加のレベル、あるいは活動の主体ということについては聞いたことも考えたこともない人たちだったので、12月12日(水)、私が3ヶ月間帰国するに当たって次のようなメモ(元は英文)を残した。

  1. 金曜日の結論を私は想定していなかった。それは基本方針そのものの変更(あるいは決定)を意味するからだ。つまり戦略・戦術すべてが変わることになる。これまでの村や県レベルのワークショップは、そのような基本方針を前提としてはやって来なかったし、そのような説明もして来ていないので、これから丁寧に説明する必要がある。
  2. これは本当の「参加型開発」(それが持続可能かどうかに直結する)ができるかどうかという大事な決断だと思う。参加型開発の信奉者として上手く行くと信じているが、正直なところ本当に驚いた。こうなるとパイロット事業でどのような分野のプロジェクトや活動を行って行くかは大きな問題ではなく、それらのプロジェクトや活動がどのような形で実施されるかが問題になる。
  3. コミュニティ・ベースの活動において「誰が中心になるのか」「誰が意思決定するのか」が金曜日の結論で完全に変わった。我々のプロジェクト、我々の活動にコミュニティの人たちが参加してくれるのを求めるのではない。もしそうならば、一番簡単なのは現金給付(CFW)や食糧給付(FFW)をすることだ。そうすれば、人々は間違いなく作業をしてくれるだろう。けれどもそれはしないと決まった。
  4. プロジェクトや活動が我々のものではなく、人々のものであるとすれば話はまったく変わって来る。我々のプロジェクトや活動に人々が参加してくれるのではなく、コミュニティの人たちのプロジェクトや活動に我々から参加するということになる。
  5. そうするとどのようなプロジェクト、どのような活動にRREPが関わって行くのかも大きく変わって来る。彼らが必要としている、これからやりたいと考えているプロジェクトや活動というよりも、むしろ彼らがいまやっている、あるいはいままさにやろうとしているプロジェクトや活動が重要になる。これまでの参加型ワークショップでは地域計画の枠組みの中で、将来どのような方向に開発を進めるのか、そのために必要なプロジェクトや活動は何かという形で組み立てて来ているが、これからはいま行っているプロジェクトや活動を明らかにする必要がある。
  6. 普及員(DA)や地元のリーダーたちとの対話を通じて、いま実際に行われている、あるいはまさに行われようとしているプロジェクトや活動が何かを明らかにすると同時に、それらが集落単位なのか、グループ単位なのか、レラ単位なのか、村単位なのか、クラン単位なのか…を確認する。その上で、人々のプロジェクトや活動で何がネックになっているか、それが工具なのか、材料なのか、技術的な支援なのか…を普及員やPAマネージャ(各村に1人いる行政官)に査定して貰う。

 そうやって集めた資料を元に、第一年次に16村で実施するパイロット事業・活動を確定し、活動の大きさや主体となって活動する人々の世帯数に応じて工具の数、材料の量を算定、技術的な支援のやり方を決めて、2013年の1月から順次工具や材料の配布に入った。