いまある社会関係を活かした開発を目指して

エチオピア南部の半乾燥地ボラナ県などで学んだことを、忘れてしまわないうちに…。No Day But Today / Carpe Diem

(10) 耕作の普及

家畜と穀物

 県レベルの参加型分析ワークショップの結果((2)ボレナ県の概況と県レベルのワークシップボレナ県の郡別の現況分析参照)を見ると、ボレナ県の13郡のうち高地の3郡(1. アバヤ、2. ガレナ、3. ブレ・オラ)では食糧の需給が5段階評価で3(平均的)であり、高地と低地の中間的な位置にある1郡(4. ダグダ・ダワ)では2となっている以外、低地の10郡ではすべて最も厳しい評価の1である。一方、エスニック・グループ的に見ると、食糧の需給の問題が比較的少ない(評価が3または2)4郡はすべてグジが多数を占めている地域であり、低地の10郡では、4.ダグダ・ダワと5. マルカ・ソーダ(ともにグジが多数を占める)をのぞく8郡で、ボレナの人たち(=ボラン)が絶対的多数を占めている。つまり郡レベルで耕作が一定の比重を占めているのは、すべてボランのあまりいない地域ということになる。

 さらにボレナ県の郡別の優先課題を見ると、低地のテルテレ郡では23村のうち1-9と18-20の12村で穀物が最優先課題、10村で家畜、1郡(中心の町)で現金収入が最優先課題となっているが、このうち耕作が大きな比重を占めている12村のエスニック・グループを見ると、19.Jerarsa(テルテレ郡の中心23.Telteleのすぐ南の村)と9.Bule Korma(テルテレ郡の中心の少し西の村)をのぞく10村がコンソというエスニック・グループ(テルテレ県の北の南部諸民族州コンソ特別郡から来た人たち)の居住地域であることがわかる。

 さらにミヨ郡の中で耕作が重要な村を見てみると、7.Chari Turura村ではコンソが50%、14.Dokosu村ではシェワが20%を占めているほか、ヤベロ郡の中で比較的耕作が盛んな7.Obda村でもシェワが40%、2.Elwaye村でもシェワが10%、コンソが10%を占めている。このように耕作が積極的に行われている地域(=比較的耕作に適した地域でもある)はすべてハイランド系のエスニック・グループの居住地域であり、ボランの中で耕作中心の生活をしている人はかなり少ないことが想像される。(ただし上述のテルテレ郡では、ボラン中心の2村においても耕作が80%あるいは100%を占めるというボランの「農民」がいることを聞き取りで確認している。)

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ヤベロ郡Obda村の畑で。ハイランドから来たシェワの人が4割を占める

 なお、ボレナの3コミュニティにおける参加型ワークショップでの、約200人の参加者からの聞き取りでは、条播をしていると答えた人は2人(ともにヤベロ・ワレダで18歳男性と20歳女性)のみであった。テルテレ郡の畜産開発事務所での聞き取りでは、コンソの居住地域においても、段々畑は普及して来ているものの、条播はなかなか広まらないとのことであった。

耕作主体のエスニック・グループ

 上述のように、ボレナ県で古く(イタリア軍が駐留していた1936-40年頃)から農業をやっているのは、高地から来た耕作主体のエスニック・グループである。

  1. ボレナ県の北側のグジ県を母体とするグジの人たちはボレナ県のマルカ・ソーダ郡、ブレ・オラ郡、ドゥグダ・ダワ郡で絶対多数を占めている。
  2. ボレナ県の北西側には南部諸民族州があり、コンソの人たちはそこからテルテレ郡北部の、主に11の村に進出して来ている。
  3. 上述のグジとコンソの人たちのグループが本来のアイデンティティを維持したまま進出して来ているのに対して、グジ、コンソに加えてハイランドから来たシェワ、ブルジなどの人たちは、ボレナ県の低地の中でも比較的標高の高いところに移住して来て、ゴサ(ボランのクラン)の一員となり、ボランとしての義務を果たして同化している。これらの人たちが住むのはヤベロ郡の Elwaye村(シェワ10%, コンソ10%)、4. Obda 村(シェワ40%)、8. Yubdo村(ブルジ90%)、9. Gegna村(ブルジ95%, コンソ5%)、ディレ・郡の15. Dida Mega村(ブルジ80%)、ミヨ郡の1. Hidi村(ブルジ30%, シェワ20%)、7. Chari Turura村(コンソ50%, ブルジ10%)、14. Dhokosu 村(シェワ20%)など、丘陵地周辺の四ヶ所に集中している。郡での参加型ワークショップの現況分析の結果から、耕作が最優先分野となっている村と、これら農業主体のエスニック・グループの多い村とは、ほぼ一致することがわかっている。

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    ディレ郡15. Dida Mega村(ブルジの人たちが8割)の小麦畑

 耕作の普及の仕方

【高地から農業をやるために来た人たち】

  • テルテレ郡、ヤベロ郡、ディレ郡の相対的に標高が高い地域で、もともとコンソ、シェワ、ブルジだった人たちなどから話を聞いた結果、彼らの多くは70-80年くらい前あるいは四世代前に高地から来た人たちとその子孫であり、最初から農業の適地を探してボレナ県に来ていることがわかった。

【高地から来た人たちから見よう見まねで学んだ人たち】

  • 一方、北側のコンソ、グジと隣接する地域や、高地の人たちが多い四ヶ所の山(丘陵地)の周辺に住むボレナの人たちは、コンソ、グジ、ブルジなどの人たちが農業を実践しているのを見て、見よう見まねで農業を始めた人たちである。聞き取り調査の結果から見て、ボレナの人たちが最初に農業を始めたのは、恐らく20〜30年くらい前あるいは二世代前くらいのことだったのではないかと想定される。
  • 聞き取り調査の結果を個別に見てみると、テルテレ郡のボレナの人たちはコンソの人たちから、ディレ郡や、ダス郡の 5. Aanole村、12. Golile村の人たちは15. Dida Mega村のブルジの人たちから、アレロ郡の10. Fuldowa村、15. Webi村、16. Gada 村、ダス郡の6. Harjarte村の人たちはグジの人たちから、農業を学んでいる。

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    エスニック・グループの分布と耕作の普及

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アレロ郡10. Fuldowa村の畑
  • このように70年くらい前に高地の人たちが中心になって始まった農業が、20〜30年くらい前からボランの間でも拡がり始め、最近では環境の厳しい地域を除くボレナ県のほぼ全域に拡がって来ていることがわかる。

農地について

 新参者、特に高地から移住して来たばかりの人たちはなかなか土地が貰えないようで、やむを得ず農業労働者として働いたり、シェア・クロッピングをしたり、また土地を借りて耕作している人たちがいる。シェア・クロッピングの場合、借り手が1/3、地主が2/3というのが一般的なようであるが、1/4:3/4という例もあるし、また借り手の取り分は6ティマド(1ha)のうち2ティマド(1/3ha)分の収穫と固定した上で、実際にはもっと広い面積を耕作させられるという話もあった。また借地の場合の賃料は1ティマド(1/6ha)当たり100または200 ブル(約400円または800円)/年とのことであった。

耕作について

 現場を見て回った限りでは、ボレナ県の低地で実践されている農業は、エスニック・グループを問わず、ほぼ同じ形態のものである。

  1. まず散播(多くの場合メイズとインゲンマメの混作)を行って、後から二頭立ての雄牛を使って土地を耕起するケースがほとんどで、条播を実践している人は例外的である。たまにやったことがある人もいるが、牛がいなかったときに実践しただけで、牛を入手した場合、耕作面積が広くなった場合には、すぐに打ち切って散播に戻っていた。
  2. ここ2年くらいの間に普及員(DA)による正条植えと改良種子やコンポストなどの研修が頻繁に行われているが、住民からは理論だけで実践を伴ったものになっていないとのコメントが多かった。
  3. 県畜産開発事務所あるいは普及員が改良種子を配布する場合(ヤベロが中心)には改良種子が手に入るが、そうではない場合はヤベロやメガの町に行って種子を買ったり、使い回したりしている。
  4. 二頭立ての牛を使って、shalshaloと呼ばれる間引き兼草抜きを行うことが一般的である。このshalshaloは言わば無作為間引きであるため、せっかく大きく育った苗も間引きされてしまう。

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    Shalshalo、牛には大変な重労働
  5. 小雨季(Hagaya season)は耕作しない場合も多いが、翌年の大雨季(Ganna season)に向けて土を起こしておくと収量が上がり、生える草も少ないという認識があるため、多くの人が小雨季の最後から乾季の初めに掛けて耕起している。
  6. 一般的に生産性を上げるよりも、耕作面積を増やして生産量を増やすことを志向しているように見える。
  7. 単に労働量やコストの大きさだけではなく、季節性に対する意識がとても強いように見える。例えば雨季の初めは家畜のためのマザー・キャンプ周辺の牧草探しに忙しい時期でもあり、しかもサテライト・キャンプから長距離を移動して来たために家畜が弱っている時期でもあるので、この時期に耕作に時間を掛けることはできるだけ避けたいと考えているようである。
  8. 一方、雨季の最中は比較的時間に余裕があり、家畜の健康状態もよいことが多いので、この時期に雄牛を使って作業をすることを好むようである。